Old Brown Shoe

「キツくないですか?」

 

「あー。着てる服によるのかもですけど、確かに若干こう派手かなっていう」

 

「なるほどなるほど。で、かかととか……」

 

「んーそれは全然大丈夫で。……あ、もしかしてキツいってそっちの」

 

「あーいえいえハハハ、まああのお色とかももちろん併せて見ていただいて、ありがとうございます、そしたらこちらとか……」

 

「すいませんあのなんかトンチンカンでしたよね、ハハハ」

 

 

 ある日電車に乗っていて、手にしていた本も読むでもなく読まぬでもなくぼうっとしておったら、ふと気づいた。この車両に乗っている人、みな等しく靴を履いている。

 そんなん当たり前やろうがとお思いになることとお察しする。おれもそう思う。しかしその当たり前を敢えて凝視してみると、これがなかなかクセになる。

 

 私が普段乗っている電車(西武池袋線だ)にはいろいろな人が乗っている。見た目が派手な人もいれば普通のスーツの人もいるし、騒がしい大学生もいれば妙に泰然自若とした中学生もいる。そして履いている靴もいろいろだ。そこいらの量販店の8,000円ぐらいであろう革靴、7〜8cmはありそうないかついヒール、特にこれといっていうことのないニューバランス(おれである)。

 

 しかし彼ら、もとい我らについてほぼ確実にいえることは、今日家を出るときに「靴を履く」という行動をしたということである。

 身支度をし、いそいそと玄関に向かい、うーんと今日は誰それに会うから(あるいは会わないから)これだな、とベストな靴を選んで、爪先を突っ込み、ドアを開けしなに踵をトントンしたかどうかまではわからないが、それらの行動について我らは限りなく同一に近い経験を共有している。

 

 もっと云えば、我らはどっかで靴を買っているはずなので、きっと店先で靴を選び、試し履きをしてあれれちょっと違うな、とかなんとか言いながら店員さんとやりとりをした経験があるはずである。噛み合っているのだかそうでもないんだかわからない会話の末、最終的にじゃあこれにしますといって、ちょっとテンション上がってるのを隠しながら会計をしたはずなのである。

(それを言うたら服だってそうじゃろうが、という向きもあるかもしれない。しかしその機能上、サイズ感やフィット感において、やはり靴は服よりも数段シビアである。試着できない状態で売っているシャツというのならそう珍しくないが、試し履きを許されない靴、というのは少なくとも自分は見たことがない。よって購買に至るまでのコミュニケーションの機会は靴のほうが高いだろう)

 

 いま、おれの目の前の座席で、周りがそこそこ混んできているのにフンゾリ返って脚を組んでいる奴のその足先にもご立派なお靴がはまっている。こんな偉そうな奴でも、靴を買うときぐらいは店員さんの言うことを多少は聞きながら、気に入りのものを選んで然るべき代金を支払って店を出てきたはずなのだ。

 お前そのときの謙虚さどこやっちゃったんだよ、靴が泣いてんぜ、とツッコミたくもなるが改めて、靴を買って履くという一連の体験においては、どんな属性の人であれシンクロ率はかなり高いものと思われる。

 

 それに気づいて以来、なんとなく街行く人の靴をしげしげと見てしまい、ちょっと落ち着かない。

 

 

 つい先日、新しく靴を買った。

 新しいと言ったけれど、古い靴である。最寄り駅の古着屋さんで、本当に珍しいことに色もサイズも一発で気に入った。そのお店のマスター曰く、40年ほど前のアメリカ製だそうである。

 そもそも中古の靴をというものを初めて買ったが、いい出会いをさせてもらったと思う。自分が生まれるずっと前、遠い国で作られたプロダクトがいま手元、いや足元にやってきて、しかもぴったりとフィットするのだから不思議だ。

 

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