あなた「私さ、小型犬って苦手なのよ」

 

君「苦手ってどういうこと?」

 

あなた「嫌いとかじゃないんだけど、可愛すぎてダメなの」

 

君「あ」

 

あなた「キュートアグレッションって知ってる?」

 

君「うん」

 

あなた「可愛すぎるものを見ると壊したり握りつぶしたくなっちゃうっていう」

 

君「聞いたことある」

 

あなた「私たぶんそれで。小型犬とか、目の前にいると蹴っちゃいそうになるの」

 

君「うん」

 

あなた「うん」

 

君「大型犬はいいの?」

 

あなた「あ、大型犬は全然いいの。大型犬はなんなら飼おうと思ってるんだよね。子どもの成長にもいいらしいんだよ。生まれたときから一緒にいればずっと遊び相手として仲良くしてくれるし。それに犬って本能的に『守らなくちゃいけないもの』がわかるらしいから、子どもといても安心だしさ」

 

君「なるほどね。でも犬のほうが先に死んじゃうこと考えたら、ケアが必要じゃない?」

 

あなた「もちろんそれもあるけどさ。でもそれも10代ぐらいの多感な時期に命の大切さを知ることができるって意味では大事かなって」

 

「ん」

 

あなた「でも私、いちばん好きな動物って狐なんだよね。犬じゃないの、ほんとうは」

 

君「わかる! 狐いいよね。いちばんいい」

 

あなた「ね」

 

君「ね、あんたさ」

 

あなた「うん?」

 

君「大型犬飼うの、一回ちゃんと考え直したら?」

 

あなた「そうするわ」

2024年3月 Books

 3月、わりとあっちこっちに行ったりライヴしたりで、まあまあやることがあった。先月よりは少し減の10冊。

 

1シモーヌ・ヴェイユ 田辺保訳『工場日記』筑摩書房ちくま学芸文庫

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 生前はほぼ無名なまま、終戦を目前にして34歳で去った哲学者シモーヌ・ヴェイユ。かつて『重力と恩寵』にトライするも、その難しさと長大さに圧倒されて未だ読み切れないでいる。『工場日記』を先に読み始め、先に読み終わる結果となった。

 哲学教師の仕事を休職し、未熟練工として各地の工場で働いた8か月間のルポルタージュである。マルクス主義を熱心に研究し、後には理論的な批判も展開したヴェイユが、当時の労働者の実情を知るべく、そして「人間性を壊廃させる必然性の機構のなかで、果たして人間本来の生は可能なのか(裏表紙より)」という根源的な問いに向き合った著作となっている。

 日記には、その日に彼女が取り組んだ仕事の記録と、工場で働く同僚や上司たちの姿が描かれているほか、賃金や生産高の計算メモが多く残されている。持病があり、決して健康そのものとはいえなかったヴェイユだが、工場の過密な勤務からの退勤後にお金の計算を含めた日記を毎日(!)書いていたというその事実だけでも、相当なタフさというか、思索への執念のようなものが伺える。書くという営為の強度と繊細さと、その両方をひしと感じる文章だった。

 

2プリーモ・レーヴィ 竹山博英訳『休戦』岩波書店岩波文庫

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 絶滅収容所を生き延びた作者が、故郷のイタリア・トリーノに戻るまでの旅の記録。旅といってももちろん旅情豊かなものではなく、粗末な列車に揺られての過酷な道程である。

 本書の冒頭では作者がアウシュヴィッツで迎えた「解放」のシーンが描かれるが、その世界は徹底的に人間性を破壊され、人がもののように扱われる世界である。トリーノへの旅は、アウシュヴィッツを経験した人間が人間性を回復していく過程でもあるのだった。

 重く厳しいテーマを扱っていながらしかし、レーヴィの筆致はどこかユーモラスですらある。はじめのうちはその雰囲気がテーマとちぐはぐなような気もしたのだが、読み進めていくほどに、それはとりもなおさず「人間性の回復」という点に接続するのだと気づいた。

 ポーランドから出発してソ連ルーマニアハンガリーオーストリアと舞台が移り変わっていく本書では、人々の交わす言語も重要なファクターになっている。解放後、はじめてロシア語の単語を理解する場面。ギリシャ人と話すときのフランス語。オーストリアで、恐ろしい記憶と結びついているはずのドイツ語をふと懐かしく思う場面……。言語にまつわる一つひとつの描写に何重もの意味が込められている。

 ユダヤ人であったレーヴィが、イスラエルによるパレスチナ侵略を批判していたという事実はごく最近知った。

 

3.僕のマリ『いかれた慕情』百万年書房

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 『常識のない喫茶店柏書房)』でのパンチの効いた文体と、「そんなことまで言ってええんか!」という赤裸々な内容に衝撃を受けて以来、頭の片隅で気になり続けている作家のひとり。本作は、僕のマリさんが(ふと気になったのだが、お名前が「マリ」さんだとして、苗字〈?〉で呼ぶ場合は「僕の」さんでいいんだろうか)2018年に初めて作ったという私家版ZINE『いかれた慕情』をベースに、書き下ろし等を合わせて書籍化したもの。たしかに2018年の文章と2023年の文章とでは、いろいろ違いもあって面白く読んだ。

 ことに印象に残ったのは、2018年の作品である「確かに恋だった」。

「わたしたちは暗く深く、ふたりだけの国を築いてひっそりと愛し合っていた。(p.185)」

「もう一生会うことはないし、連絡先も知らない。いまどこで何をしているかお互い知らない。(p.190)」

 恋とは。私はアロマンティックなので、恋とはなんたるかを実感としてよくわかっておらず、ラヴ・ストーリーをお勉強のようにして読んでしまう癖があるのだが、この文章は不思議とそういう感じがせずすんなりと読めた。言葉選びの妙か、心の描き方がお上手なのか。新鮮な読書体験だった。

 

4.吉澤誠一郎『中国近現代史清朝と近代世界』岩波書店岩波新書

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 昨年、映画『ラストエンペラー』のリマスター版を観た。清朝最後の皇帝・溥儀の生涯を描いたその映像を見ながらふと、自分の世界史への知識の浅さを感じた。感じたものの、そこから1年近くも日々の雑事にかまけて勉強を怠り続けてきてしまった。今年はいろいろ歴史の本を読んでみようという目標を立て、中国史についてはまずはここから……と「清」の歴史を見ていくことに。

 学生時代の歴史の授業を思い起こしてみると、清がかかわってくるできごとといえばアヘン戦争日清戦争と、諸外国が絡むものが多い。そしてそれは、「科学技術や高度な戦闘術をもった“列強”に苦戦するアジアの国」というイメージとして語られることも多かったように思う。

 実際に本書を読んでみると、中国国内で起こる課題や争いに対処しつつ、政治・経済あらゆる方面から干渉してくる国々との外交に注意深く取り組んだ姿が見えてき、以前に清に対して抱いていたイメージが変容してくるのを感じた。やはり歴史というものは一つの立場から見るだけでは限界があるなと思う。

 「中国近現代史」はシリーズになっているので、しばらく追って読み進めたい。

 

5.石野裕子『物語 フィンランドの歴史 - 北欧先進国「バルト海の乙女」の800年』(中央公論新社中公新書

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 2024年・歴史の本を読んでこうシリーズ第2弾。北欧はフィンランド。個人的なフィンランドの最初のイメージはF1ドライバー・ラリードライバーを多く輩出した国、というものだった。なにかと速い人が多い。

 現在の(日本における)フィンランドのイメージといえば教育・福祉が充実し、幸福指数の高い理想郷、といったところだろうか。たしかにそういう一面もあるとは思う。一方で少しでも歴史を追ってみると、そこに見えてくるのはフィンランドという国のかなり武闘派な一面というか、西欧諸国とロシアに挟まれて長らく独立を保ってきただけの力をもった姿である。本書においてもソ連〜ロシアの存在感はかなり大きい。西サイドの隣国であるスウェーデンとの関係も一筋縄ではない。

 フィンランドが経験した多くの戦争の中でも1918年の赤軍・白衛軍の内戦は国内でも長らくアンタッチャブルな話題になっていたようで、その事実は小説や映画といった芸術によって後世に伝えられたらしい(p.113)。歴史のなかでフィクションの言語がもつ力。

 なお、本書執筆時点(2017年)では「ロシアに配慮して(p.241)」加盟していなかったNATOに、現在は加盟している。そして先月、スウェーデンも。

 

6大岡信 谷川俊太郎『対談 現代詩入門』中央公論新社(中公文庫)

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 大岡信谷川俊太郎、このふたりの大家が同い年ということは浅学にして今まで知らなかった。しかも対談では、さながら高校の同級生かなにかのごとく「大岡」「谷川」とお互いを呼び合っているのでおもしろい。「くん」でも「さん」でもないんだ、っていう。

 現代詩入門と銘打っているとおり、本書刊行時での現代(1989年)における詩の状況について語られている。あくまで文章(話し言葉)は平易でわかりやすい。前半は比較的歴史的な部分の振り返り要素が多く、後半にかけて若手詩人の作品を講評したり、日本語の変化と詩的言語の変化を結びつけて考えたりと「現代」っぽくなっていく。個人的には後半部分が特に面白かった。p.79〜「若い人たちの詩を読んでどう考えたか」では偉ぶることなく、かといって殊更に褒めあげることもなく、一定のテンションで評価すべき部分と課題とすべき部分を論じているところは流石だと思った。「いまの人たちは、行間の余白というものにまったく頼れなくなっているという感じね(谷川・p.87)」。

 最後の章・「現代詩のさまざまな試み」にも興味深いことが書いてあった。

 「あらゆる言語の詩というものは、すべて自己表現であるよりは、他を称える、他を怖れるという性質が非常に大きかったと、ぼくは思うのね」

 「だからこそ詩は個人の単なる歎きとかの領域を超えて、一千年、二千年を経ても僕らを打つ、そういう要素をもっているのだと思うんだ(大岡・p.198)」

 

7ミハイル・ブルガーコフ 水野忠夫訳『悪魔物語・運命の卵』岩波書店岩波文庫

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 キーウ(キエフ)に生まれ、帝政ロシアソビエト時代前期までを生きた作家、ブルガーコフ。晩年に執筆された長編『巨匠とマルガリータ』が有名だが、こちらはそれぞれ1923年に書かれた短編作品である。

 マッチ工場の事務員が自らの分身に翻弄されるダークSF調の「悪魔物語」は、一読してゴーゴリの「外套」に通じる不気味さ、不条理感があるように感じた。実際、同じ帝政ロシア期のウクライナに生まれた作家としてゴーゴリブルガーコフはよく比較されるらしい。ブルガーコフの作品は「奔放な想像力とグロテスクな技法に支えられて、諷刺とにがい笑いで現実を批判し尽くしている(p.272)」と解説されているが、ここで諷刺されているのは誰も把握しきれないままモンスター化した官僚機構や、身に覚えのない罪状で不利益を被る羽目に(いつでも)なりえた当時のソビエトの社会だろうか。

 「運命の卵」も不気味だが面白かった。こちらはカレル・チャペックの「R.U.R」が頭をよぎったが、科学技術や人間中心主義的な思想への懐疑が根底にあるのだろう。科学による進歩を標榜する共産党政権からは認められなかったらしい。

 

8長田弘『読書のデモクラシー』岩波書店

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 詩人・長田弘の手によるエッセイ集。「I 読む」「II 聞く」「III 考える」の三部構成になっており、それぞれ短いテーマに基づき、短ければ1ページ、長くても4〜5ページほどで筆者の思考が書き留められている。

 タイトルには「読書の」とついているものの、内容は本のことばかりではなく、手紙や話し言葉、視覚的なイメージ、歴史、スポーツなどなど多岐にわたる。人間が経験しうるものを広く捉えて「読む」「聞く」、あるいは「考える」対象として設定しているのだろうか。

「親展として誌されるべき言葉がある。親展は、手紙が人と人のあいだにつくった、もっとも親身な言葉の回路だった。(中略)しかし、こころを込めて誌された手紙を手にするということが、日々の習慣になくなって、こころにとどく言葉を直接受けとる機会をもつことが、ふだんにすくなくなってから、親展という言葉の手わたしかたは、いつかわすれられてきた(p.6)」

 たしかに、と思う。「親展」になぜ「親しい」という言葉を使うのか疑問に思うくらい(だって「親展」と書かれて届く郵便物といえば公共料金の支払いか税金関係ぐらいのものだ)になったいま、かつてあらゆる遠方のやりとりが郵便で行われていた時代を思う。

 

9. チョン・イヒョン 斎藤真理子訳『優しい暴力の時代』河出書房新社

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 「優しい暴力」とはなんだろう。改めて「暴力」という言葉の意味をひいてみると「乱暴な力。 無法な力。 不当な腕力」と出てくる。「優しい暴力」とは、あえて選ぶならば2つ目の「無法な力」になるだろうか。法を犯す、あるいはこう解釈してよければ、法の及ばないごく親密な、ミクロな世界で行われる侵略。

 作家自身は次のように語る。

「今は、親切な優しい表情で傷つけあう人々の時代であるらしい。

 礼儀正しく握手をするために手を握って離すと、手のひらが刃物ですっと切られている。傷の形をじっと見ていると、誰もが自分の刃について考えるようになる(pp.229-230)」

 誰かに傷つけられるということはショッキングな出来事だが、その実自分自身も傷つける側の存在になりうる。そのことにまで思いを及ばせることができるかどうか。上記の書き方からして、その点について作家は読者をかなり信頼しているように見える。

 韓国と北朝鮮(、そして日本)との関係をバックグラウンドに、痛みを伴う友情の始まりと終わりを描いた「ずうっと、夏」、ダンススクールで出会った知人との思わぬ場面での再開から物語が転がりだす「アンナ」の2作は特に印象的だった。大切な人を守ろうと思うこと、「よかれと思って」することが暴力に転じてしまうことの痛ましさを考えさせられる。

 

10. 岡真理『ガザに地下鉄が走る日』みすず書房

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 「だが、毎年、そこで語られる言葉、『このようなことを二度と繰り返してはならない』という誓いは、いったい何を繰り返さないというのか(p.239)」

 この一文における「そこ」とは、ポーランドにあったアウシュヴィッツ強制収容所の跡地で開催されている式典のことである。

 40年以上かの地に関わり続けてきた文学研究者である筆者による、占領〜完全封鎖下のパレスチナの状況を写しとった記録の本。パレスチナの状況は、1948年の「ナクバ」以降「最悪を更新し続けている」と(本書が発行された当時の2018年には)言われていたという。2024年現在、その状況はさらに繰り返されてしまっているように見える。

 本書のキーワードのひとつは「ノーマン(no man)」で、人間性を剥奪された存在を意味する。「十年以上にわたる封鎖は、難民から、彼らに最後に残された人間性をも剥奪することによって、彼らを真のノーマン、人間ならざる者にしようとしている(p.273)」。物理的な攻撃もさることながら、封鎖によって水道や電気、食糧の供給を経つことは人が人らしく生きていくことを否定する。本書はそうした困難を記録する一方で、そこでなお「ノーマン」化に抗し、自身の言葉や思想をもって行動する人々の姿を書きとめている。そしてそこには文学があり、芸術がある。

 この本がもたらしてくれるのは今までに起こったことという「知識」だけではなく、今も続く人間の「非-人間化」に対していかにしてNOを突きつけるべきか、そのために私たちができることはなにかという思考のガイドラインでもある。

 先月に続き、即時の停戦と、ガザ、ヨルダン川西岸、そして世界のあらゆる地域で起こっている不当な権利侵害の停止を切に願います。

2024年3月 Record & Live

 3月はわりとやることが多かったがその割にいろいろ聴けたと思う(1度や2度ほど長めの電車移動をしたのでそのときにかなり聴いた)。以前から楽しみにしていた作品も多く嬉しい月だった。

 

●Records

Daniel – Real Estate

・Real Estateの6枚目のフルアルバム。衒いのないギターロック・サウンドとキャッチーなメロディで、日常のどんな場面にもナチュラルに馴染んでいくようなサウンドスケープが素晴らしい。

 もちろん、#4「Flowers」のコーラス部分のヴォーカルに寄り添うようなリードギターのフレーズや、#6「Freeze Brain」のリズミカルなベースパターンなど、よく聴くと随所に凝りポイントはある。しかしながら、それらも不自然に目立つことなく、あくまで「その楽曲の中で必要なもの」としてスムーズに組み込まれているようだった。メンバー各々のテクニックがしっかり備わっているからこそできる技だと思う。

 #10「Market Street」で、ベースとリズムギターの間を縫うようにして入ってくるリード(?)の動き方も好き。

 

Underdressed at the Symphony – Faye Webster

・Lil Yachtyとの楽曲#4「Lego Ring」ほか、いくつかの先行曲を聴いて楽しみにしていたアルバム。

 スロー〜ミッドテンポで、コードも2つしか使っていない#1「Thinking About You」をはじめ、ゆったり目でドリーミーな楽曲で構成されている印象である。本作についてネットでつらつらと調べていたら、「日曜の朝に聴きたい」という感想が散見され、興味深かった。たしかに天気のいい休みの日にぴったりかもしれない(とはいえ、個人的にはこれもまたどんな場面にもしっくりきそうな音楽だと思っている)。

 ギターをやや控えめに聴かせながら、ハスキーなヴォーカルとピアノ系のウワモノを前に出したミックスの感じも違和感ない。タイトルが面白く、どこかジャズ風な#10「Ttttime」、かなり好きだった。

 

Your Favorite Things – 柴田聡子

・タイトルの印象もあって映画の劇伴をイメージさせる#1「Movie Light」から、もう素晴らしい。ピアノ+ストリングスのオケにシンプルなドラム、という構成に、ふと後期ビートルズを思い出すなど。

 全体的なリズムの作り方やシンセのサウンドなどからはR&Bの影響を強く感じつつ(Ex. #5「白い椅子」)、ヴォーカルやリリックについては日本語の面白さ・トリッキーさで上手く遊び、無二の世界をつくりあげることに成功しているように見え/聞こえる。

 演奏・ミックスともかなり高度なテクニックを要する(と思う)楽曲たちだが、よい意味でその難しさはあまり感じさせず、あくまで親しみやすいバンドサウンドに帰着しているのも印象的。5月末のLiveに行く予定だが、特に#7「Side Step」は生演奏超聴きたい。そして踊りたい。

 

elvis, he was Schlager – Church Chords

・Church Chordsというプロジェクトを知ったのがそもそも最近。中心人物であるStephen Buonoのインスタを見てみれば哲学者シモーヌ・ヴェイユの肖像が鎮座しており、どうもただの人ではないらしいことが聴く前からなんとなく伺えた。

 共演者の幅の広さにまず驚く。KnowerのGenevieve Artadi、日本からは嶺川貴子、ベースにブラジルの音楽家Ricardo Dias Gomes……などなど。

 #3「Apophatic Melismatic」ではエレクトロニックを基底に置きつつ生感のあるギターを持ってきたり、#6「Warriors Of Playtime」では生楽器感の強いジャズサウンドからはじまってアンビエントな音像に遷移し……というように、一つひとつの楽曲が多彩な個性に溢れていながら、アルバム全体としてちぐはぐな感じがなく、むしろ統一感のようなものに守られている感すらある。音の雑木林のようなアルバム。

 

Shun Ka Shu Tou – LAIKA DAY DREAM

・情報解禁から心待ちにしていたLAIKA DAY DREAMの3rdアルバム。ライヴで観た曲を改めて音源で聴いて「これか!」となる楽しみと、初めて聴く曲に圧倒される楽しみと。

 リリースに際してインタビューが公開されており(https://antenna-mag.com/post-71288/)、一緒に読んで聴くのがオススメ。インタビュアーが「音楽観や創作の狙いについて雄弁に語る、自身の言葉を持った音楽家だ」と表現する理由はよく理解できる。

 #3「カートより長生き」というタイトルの楽曲があるように、Nirvana、ひいてはグランジの存在が背景にあるアルバムだそうで、ザクッとした歪みが随所で聴ける。そういえば自分も来月に28歳になるので、「カートより長生き」になってしまう。ヤバイ。

 どの楽曲も好きだが、どこかThe Strokes感のある#5「サイケな女」に個人的には大ハマりしている。

 

Still – Erika de Casier

ポルトガルに生まれ、デンマークで育ったSSW、Erika de Casier。日本の検索エンジンでこの名前を入れるとNewJeansの名前が同時に出てくる。そう、NewJeansのEP「Get Up」で4曲の作曲に携わっていたのであった。不覚にもスルーしていた。

 というわけでソロ作品をしっかりと聴いたのは本作が初めてだが、結論とても好きだった。音楽的にはR&B成分が強く、そのなかでときにアコースティックな楽器が使われたり、ときにしっかりエレクトロニックに振ってあったりと、様々な表情が見える。踊れるミュージックであるというのは全編共通している。リリックのテーマは、「愛」や「繋がり」といったものに対する懐疑含みの信頼、とでも言えばいいだろうか。

 特に好きだったのは#3「Lucky」と、#8「Believe It」〜#9「Anxious」〜#10「Ex-Girlfriend」の流れ。メロディがよい。「Ex-Girlfriend」にはShygirlが参加している。

 

Bleachers – Bleachers

・活動休止中のバンド・FUN.のギター&ドラムとして活動していたJack Antonoffのソロ・プロジェクト。Dirty Hitと契約してから最初のアルバムということになる。

 と掴みはとにかくポップで明るいサウンド! しばらくの間、テンションを上げたい朝なんかはこのアルバムを聴くことになりそう。#2「Modern Girl」のOh-Ohコーラスはライヴでは大盛り上がりだろう。これを観るためにサマソニ行きたいぐらいだ(今年来るそうです。東京土曜)。

 アルバム全体としてはハイテンション一辺倒ではなく、中盤にかけてメロウな楽曲もしっかりあり、Lana Del RayとClairoが参加する#5「Alma Mater」のチル感がよい。50分間のストーリーというものがしっかりある印象。

 全体的に、ホーンセクションがリード担当にとどまらず、リズムやコードの構築にも役を得ているのが興味深かった。

 

Mountainhead– Everything Everything

有機的なバンドサウンドとエレクトロニックの融合、という印象は健在。しかしながら、一部作詞にAIを導入するなどの試みを行った前作とはまた違い、今作はかなり人力というところにこだわっているような印象を受けた。

 楽曲的にはメロディアスでキャッチー。#3「Cold Reactor」のハイトーンなど非常にポップだ。リリックや楽曲タイトルを読み解いてみるとかなり明確に政治的なテーマを扱っていることがわかる。根底にあるのは資本主義という巨大なゲームに対する皮肉を込めた批評だろう。踊りながら社会に一矢報いようとするムーヴ。ちなみにレディオヘッドの影響は本人たちも挙げているよう。

 「Cold Reactor」〜#4「Buddy, Come Over」の流れはついリピートしてしまう。#8「Canary」のようなエレクトロ色が強い楽曲も捨てがたい。

 

The Collective – Kim Gordon

Sonic Youthの元ベーシスト・Kim Gordonのソロ最新作となる。あまりきちんと彼女のキャリアを追ってきたわけではないので詳しいことは言えないのだが、とりあえず「今はこういう音楽やってるんだあ…」という印象を素直に受けた。

 Drift Phonkを想起させるズッシリとしたリズムに呟くようなヴォーカルが乗る楽曲が多く、Sonic Youthのようなノイジーなギターサウンドのイメージからはだいぶ乖離している。あくまでKim Gordonのソロ作として成立している世界である。

 テーマとしては、社会に内在された不均衡や格差をダイレクトに取り上げ、明確なメッセージをもったものが印象に残る。#4「I’m A Man」の歌い出し「It’s not my fault I was born in a man」から、能天気なだけのダンスミュージックを想像するわけにはいかない。

 個人的にはやや難解な部分もあり、できれば時間をおいてまた聴きたいアルバム。

 

CD Wallet – HOMESHAKE

Mac Demarcoのバンドでギターを弾いていた時期もあるカナダのコンポーザー、Peter Sagerのソロ名義。

 一聴して内省的で、しっとりとした湿度のあるインディー・ギターロックという印象を受けた。あまり高い音は使われず、低めに鳴らされるギターと落ち着いたヴォーカル。実際、本作のコンセプトとして「幼少期の自分に聴かせる」ということがあるらしく、レコーディングも大半が自宅スタジオで行われたらしい。非常にドメスティックなアルバムということだ。

 Macのバンドはライヴ映えするサウンドでありながらもドリームポップ、サイケの要素を含んでいて、それが独自の面白さになっていたイメージだが、本作はそこを経由してさらにドリーム感、宅録感を深めた感じがした。表題曲#6「CD Wallet」と、最後の#8「Mirror」、#9「Listerine」が好き。

 

Y’Y– Amaro Freitas

・こちらも初聴き、ブラジルのジャズピアニスト。たしか昨年のFESTIVAL FRUEZINHOで来日していたと思う。

 こんな音楽があるのか……と素直に驚いた。アンビエント調の#1「Mapinguari」ではプリペアドピアノの金属音の周囲で打楽器や鳥の声のような音が鳴る。なにか深い森の中にいるような錯覚すら起こる(本作はブラジルの先住民族の「音」にピアノを用いて近づこうとする試みが行われているようだ)。#2「Uiara」では少し雰囲気が変わり、Amaroの卓越したピアノのテクニックが光る曲。ミュートされた中音域の弦が鳴らすコードがギターのようにも聞こえ、面白い。そして#3「Viva Nana」では再び環境音楽風に戻り……。そんな感じでカラフルかつ不思議な音世界が続いていく。

 Amaroの音楽的探究心もさることながら、ピアノという楽器の奥深さ・幅広さにも驚く。

 

Default – Kim Sawol

・「なぜ今まで出会っていなかったんだ……?」と思ってしまうぐらい好きな音楽だった。アップルミュージックではFolkに分類されているものの、エレキが主体の曲も多く、弾き語りベースのポップスという感じ。

 シンプルな構成とどこか湿っぽい叙情の出し方はブリットポップに通じるものがあると思ったし、メロディとリズムの絡ませかたなどにはThe Beatles(特にジョン・レノン曲)の雰囲気を感じた(多くの曲で、左右のチャンネルにパキッと音を分けたミックスにしているのもThe Beatlesっぽい。なぜ敢えてこういうミックスにしたのだろう?)。4年前のインタビューではJane BirkinSerge Gainsbourgの名を挙げつつ、日本のアーティストでは椎名林檎をフェイバリットに挙げるなど、そもそも幅広い音楽を聴くリスナー型のミュージシャンであることが窺える。

 #「Don’t Cry A River」の踊れるリズム、#4「Poison」のジャズ味あるギターソロが好き。

 

 

●Live

3/6 Wilco JAPAN TOUR 2024 @EX THEATER ROPPONGI

 Wilcoはずっと生で聴きたかったバンドのひとつ。単独では11年ぶりということで、流石に逃す手はなかった。序盤に『Cousin』や『Cruel Country』など新しめのアルバムからの曲を持ってきつつ、早めの段階から『Yankee Hotel Foxtrot』あたりの過去の名盤からの曲を演奏してくれたのは嬉しかった。「Jesus, Etc」〜「Heavy Metal Drummer」の流れよかったな。

 長尺のギターソロなどライヴならではの見せ場も多く、音源と生演奏どちらも素晴らしいと実感。オーソドックスなバンド編成で、あくまで歌モノを基調としながらも文字どおりロック音楽の「オルタナティヴ」を独自に更新し続ける稀有なバンドだと改めて思う。

 

3/11 slowdive JAPAN TOUR 2024 @豊洲 PIT

 slowdiveは昨年のフジロックに出演していたのだが、3曲だけ観てヘッドライナーのステージに移動してしまった。自分の勝手ではあるが今回はリベンジマッチでもあった。

 うっかりスピーカーの前に陣取ってしまい、轟音を全身で浴びることに。しかしこれはこれで普段の生活では経験しえない貴重な体験になったと思う。

 生バンドのサウンドとメカメカしいサウンドの融合や、轟音(2回目)でありながら神経質なまでに緻密に聴こえる音像の構築、という点において「普段どんな生活してたらそんな音が出せるんや」という感想が出た。ベースとドラムのサウンドが特に心地よかった。

 

3/16 “Heterotopia” @下北沢spread

 Liveはrilium、Seukol、Albem。DJはtomo takashima。何かと世話になっているSeukolとAlbemがイベントをやるというので、これも見逃せぬ、とチケットを申し込み。

 全編を通して非常によかったのだが、初めてライヴを観たAlbemにはドギモを抜かれた。言い方は雑になってしまうが、こんなに良いと思っていなかった。きわめて繊細に組み上げられた音楽でありながら、キャッチーで踊れる。なぜこれが深夜のマーキーで観られないのか。「Love」は音源も超カッコいいので必聴。

 クラシックとポストロック、ジャズなど、全く異なるジャンルの音楽を巧みにつなぐtomo takashima氏のDJも楽しかった。「普段は別のフィールドで活躍している人どうしをつなぐ場にしたい」というイベントの趣旨に応じた選曲、という話だった。

スパムアカウント名言集(第壱巻)

 ふと思うところがあってTwitter、もといXのアカウントを公開状態にしてから3年ほどが経つ(逆にいえば、それまでは長らく非公開アカウントにしていた)。

 

 公開アカウントはやはりフォロー・フォロバがスムーズである。知人友人のほかにも、顔を合わせたことはなくともなにか趣味などに通じる部分がある人や、同じ言葉や音楽に惹かれた人などと相互フォローになったり。

いまや(言葉を選ばなければ)殺伐となりて久しいSNSの世界だが、蓋し黎明期はこのぐらいライトなノリでフォローし合っていたな、とふと思い出したりもする。

 

 もちろん、ときには招かれざる客もある。釣り目的のスパムアカウント、いわゆるエロ垢などその最たる例だ。フォローされたのを放っておけば、そのうちDMかなにかで我々を「釣り」に来る。うっかり連絡先などを返信してしまえば先方の思うツボである。当然フォローされてしまったら速攻ブロックするのが得策であろう。

 

 しかし、である。

 

 最近のスパムアカウントのbioの部分をよく見ると、意外に捻ったことが書いてあることが多いことに気づいた。ちょっと前までは「プロフ確認してみてね♡」とかなんとか、それっぽいことが書いてあっただけなのだが。

 

 そういうわけで、このところ私をフォローしてくるスパム垢に関しては、bioの文言を確認してからブロックするようにしている。そのうちコレクションができているかもしれない。下記に、そのうちのいくつかを紹介したいと思う。なお、いずれも一言一句添削なしの原文ママである。

 

バツイチの熟女、プロのモデル、友達を作るのが好き、あらゆる出会いを大切にする。

●多難な人生を過ごされてきた方のようである。時と場所がこうでなかったら、ぼくたち友達になれていたかもね。「あらゆる出会いを大切にする」、実際にそうできるかはわからずともマインドとしては見習うべきだろう。

 

私は自由な女性で自由が好きです

●主体の認識としての自由と、志向の対象としての自由を分けて考えておられる方のようである。自由な存在を自覚すると同時に自由に対する希求を改めて宣言する彼女は、自由の内在と外在というディレンマにおいて葛藤する。

 

32歳独身女性、旅行、美食が好きで、誠実な人はいつも出会うことができる

●一見して気ままな独身生活を楽しむ人物のようであるが、最後の一文はどう理解すべきであろうか。これまでの経験から導き出した「結論」なのか、或いはそうあってほしいという「希望」なのか。

 

発光は太陽の特許ではなく、あなたも輝くことができます。

●気の利いたエンカレッジメントだと思ったら、これはどうやら元ネタがあるようだ。「發光不是太陽的權力 你也可以」。出処はどうも台湾のSNSらしい。

 

 今後も印象に残ったものがあればストックしていこうと思う。

2024年2月 Books

 今年の2月は閏年で29日まであった。先月から1冊増え、13冊。

 

1.ディーノ・ブッツァーティ 脇功訳『タタール人の砂漠』岩波書店岩波文庫

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 生真面目な将校ジョヴァンニ・ドローゴの生涯を描いた小説。配属地にて砂漠の民(タタール人)のいつ来るともしれない襲撃に「備え」ながら日々を過ごすドローゴと周囲の人々−変わらない人、変わっていく人−の姿を淡々と描く。主人公の一生分の時間を追う作品は久々に読んだので、ページ数に対して読後感は比較的重め。

 軍人たちを主な登場人物に据えていながらも、派手な戦闘シーン等はない。むしろ、世の中にさまざま出ている小説というものの中でも特に静かな雰囲気をもった作品だと思う。……故に、感想を書くのが難しい。

 最後、ストーリーにようやく動きが現れたときには、既にドローゴには死の影が忍び寄っている(肝臓の病気と示唆されている)。この作品の結末を穏やかなものとみるか、救いのないものとみるか。27歳の今読んだ感想としては、個人的には後者の印象を受けた。しかしながら、この作品を前向きなものとして捉える読者も少なからずいるようだ。それこそ10年単位で歳を重ねたあとに再読したとき、また違った感想を抱くのかもしれない。

 単純に興味深かったポイントとして、作中で主人公を指す言葉が「ジョヴァンニ」「ドローゴ」と両方使われていた。

 

2アガサ・クリスティー 中村妙子訳『春にして君を離れ』早川書房クリスティー文庫

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 「子どもたちについても、ロドニーについても、わたしは何一つ知らなかった。愛してはいた。しかし知らなかったのだ。」(pp.249-250)

 良妻賢母を自負し、満ち足りた人生を送ってきたと自らを信じる婦人ジョーン・スカダモアが、悪天候のため旅の途中で足止めを食らう。そしてやることもなくなって考えごとをしていくうちに人生の真実に気づいていく……というお話。作家が「名探偵ポワロ」シリーズで展開したようないかにもな推理小説ではないが、巧妙に組み立てられた「謎解き」小説ではある。

 印象的なタイトルは、教養人であるジョーンが作中でふと思い出すシェイクスピアの詩の一節から採られている。一方でジョーンは決して人格者とは言い切れず、自分は学生時代の友人より良い人生を送っていると傲ってみたり、インドやイスラーム圏の人々に対する態度もぞんざいである(その辺りは作家もかなり意識的に書いていると思う)。ただそれはジョーン自身の潜在的な自信のなさや、これまで精神的支柱としてきたものごとに対する疑念の裏返しであるようにも読める。

 改めて、アガサ・クリスティーという書き手の圧倒的な「書く技術」と含蓄に感銘を受ける。

 

3.『鬱の本』点滅社

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 84人の書き手による、「鬱」と「本」にまつわる随筆集。冒頭に、「※本書は、うつや、うつのような症状の方のためのマニュアル本や啓発本ではありません。」と但し書きがある。それゆえにタイトルも、正式な病名である「うつ(ひらがな)」の表記を使用せず、漢字の「鬱」を採用しているのだろう。本書では「鬱」という言葉は広く捉えられていて、書き手も実際のうつ病の経験を書いている人から、青春時代の(ある意味普遍的な)鬱屈とした感情を題材に書いている人もいる。

 そんな具合にわりと各人の好きなように書かれたエッセイが集まっているのだが、共通しているのは必ず何かしらの「本」が登場することである。それは憂鬱なときに筆者を救った本のこともあるし、逆に鬱状態のときに読んだせいでちょっとしたトラウマのようになっている本もある。いずれにせよ多くの場合実在する本が紹介されているので、気になった本は探して読むこともできる。

 鬱を経験した人もそうでない人も、本が好きなら何かしらの大切な経験を得られうる1冊だろう。

 個人的には、本書のなかでもやや過激めな内容である滝本竜彦「鬱時の私の読書」(p.94)に結構共感してしまった。

 

4.川野芽生『Blue』集英社

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 トランス女性の主人公・真砂を中心に紡がれる物語。登場人物のパーソナルな出来事や感情を主軸にとして進む小説(=フィクション)でありつつ、感染症禍や偏見・差別といった実在の問題が取り扱われており、真砂たちはまぎれもなく「そこにいる人」として読者の前に立ち現れてくる(トランスジェンダーとして生きていくためには特に医療の面で経済的負担が大きいことは知っていたが、現行のシステムがこれほどフレキシビリティに欠けるものとは知らなかった。コロナ禍における「不要不急」という言葉のもった意味も)。

 本書の主な登場人物はそれぞれになんらかのマイノリティ性をもっており、そのうえで世界を対峙することを要求されている。一方でそのマイノリティ性の内訳は当然ながらさまざまに異なっており、ゆえに葛藤も起こる。マイノリティだから他のマイノリティの気持ちもわかる、などという単純な問題ではない。

 私自身も一応性的に少数な存在(Asexual/Aromantic)として生活しているけれど、本書からはひたすら学ぶこと、考えさせられることばかりだった。特にジェンダーの非対称性やその不可視性などについては学び足ることはない。折に触れて読み返したい本の一つとなった。

 

5.向井和美『読書会という幸福』岩波書店岩波新書

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翻訳家であり学校図書館の司書でもある筆者によるエッセイ。岩波書店の批評誌『世界』に連載されていたものの書籍化だそう。

 私自身が初めて読書会というものに参加したのは昨年のことで、それまで大学のゼミ等を除いては一人で読んでいた本というものについて、複数人で意見を交わす楽しみを知ったところだった。筆者も「読書に目覚めた時から二十代後半まで、本はひとりで読み、ひとりで思いにふけるものだと考えていたし、それ以外に方法を知らなかった(p.ii)」と語っておられ、読書会のプロでもはじめに思うことは一緒なのだなと少し安心した。

 筆者自身の経験や思い出をベースに、読書会の醍醐味をさまざまな切り口から学べる内容で面白い。基本的にはいろいろなやり方があっていいというスタンスである一方、「最低限これだけはやっとかないとそもそも読書会として成り立たないよ」という部分はしっかり言い切りで解説してくれており、参考になる。

 あとは、翻訳家としての視点を解説しているVI章が興味深かった。海外文学を読んでいてム、と思うところは原文を想像し、自分ならどう訳すかと考えるのだそう。もっとも、これは「読書会」というテーマに限らないかも。

 

6尹東柱 金時鐘編訳『尹東柱詩集 空と風と星と詩』岩波書店岩波文庫

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 尹東柱ユン・ドンジュ)の名前は、これまでに読んできた韓国文学の解説書のなかで幾度となく目にしてきた。現代の韓国においては国民的詩人として、教科書にも乗っている存在とのこと。

 咸鏡道(現在の北朝鮮に位置)をルーツとする一家のもと中国に生まれ、平壌やソウルでの生活を経て日本に留学。しかしその日本で、不当としか言いようのない罪状で逮捕され、獄死している。日本語で尹の作品を読もうとするとき、このことはしっかりと意識しておかなければならないだろう。

 そのようななかにあって尹は「その時、その場で息づいていた人たちと、それを書いている人との言いようのない悲しみやいとおしさ、やさしさが体温を伴って沁みてくる作品(p.163「解説に代えて」金時鐘)」を朝鮮語で書き続けたという。文学もプロパガンダのために利用された戦時中にあって、パーソナルで叙情的な風景を書くことはそれ自体が抵抗だった。

 「世の中から帰ってくるように いま私は狭い部屋に戻ってきて灯りを消しまする。

  灯りをつけておくことは あまりにも疲れることでありまする。それは昼を更に

  のばすことでもありますので──」(p.13「帰ってきて見る夜」)

 

 「春が血管の中を小川のように流れ

  さらさら 小川のほとりの丘に

  レンギョウツツジ、黄色い白菜の花

  長い冬を耐えてきた私は

 ひとむらの草のように萌えはじめる。」(p.44「春」)

 

7.碇雪恵『35歳からの反抗期入門』温度

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 自らも言葉を使って表現している友人たちに勧められ、読んでみた。もともとブログに書き溜めたものを本の形にしたとのこと、内容は真摯なものも多いながら、ネット発の文章特有のライトなリズムと速度が読みづらさを感じさせない。

 「『自由は、ひとりになることじゃなくて誰といても自分でいられること。だったりして。』

 そう書かれたポスターを駅のホームでみかけた。広告のコピーにハッとしてしまうのはなんだかくやしいし、語尾も鼻につく」(p.17)

 わかるぅ。しかし、この文章にはちゃんとオチがあり、単なる広告コピーへのグチに終始するものではない。「わかるぅ」のその一歩先をゆく深みが、一章一章にあるのが面白い。ほかには、筆者のフェミニズムへの向き合い方の変遷を綴った章がとても興味深かった。

 私自身には反抗期らしい反抗期というものが(思春期において)なかったように思う。あったほうがいいなんて話も聞くけれど、どうだろう。少なくとも親からは「あんた(反抗期)なかったよね」と言われ、そこから特に軋轢もない。

 ただむしろ、特に親にということではないものの、色んなことに文句を言ったりムームー唸ったりしているのは今かもしれない。ぼくは27歳です。

 

8.浜日出夫『戦後日本社会論 「六子」たちの戦後』有斐閣

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 映画「ALWAYS 三丁目の夕日」の登場人物である六子らの「ありえたかもしれない人生」を仮想するというスタイルで、戦後日本をコロナ禍に至るまでたどる。ちなみにこの仮想は単なる夢物語ではなく、各時代の統計資料等に基づいた、当該世代の平均値的な人生を描き出すものとなっている。その上で、著者は「もちろん「平均的な」人生などというものは虚構にすぎない」と留保しつつ、「六子の仮想的な「5」の人生を座標軸の原点とすることによって、同時代を生きた人びとの現実の軌跡をそれからの距離として描くことができるはずである(p.45)」と語る。実際に、戦後日本の目まぐるしい時代に存在したさまざまな生をつかむ補助線として平均的な人生の分析があることで、本書の解像度は大幅に上がっていると感じる。

 「おわりに─第二の近代社会を生きる─」が非常によかった。「(高度経済成長も近代家族も)少なくともみんなに戻ってくることはありません。戻ってこないものをいつまでも待っていてもしかたありません。前に進むしかありません(p.254)」とある種ドライに言い切りつつも、今後ありうる新しい家族の形、ひいては新しい近代社会の形を提示して本書は閉じる。

 

9.大崎遥花『ゴキブリ・マイウェイ』山と渓谷社

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 私はゴキブリが苦手な側の人間である。家とかに出られると、普通に怖い。しかし、なぜ怖いのか。恐らくそれは彼らのことを「知らない」からだろう。人間は未知のものに恐怖を感じがちである。であればこそ、ゴキのことを少しでも詳しく知ることができれば、少なくとも恐怖感については軽減させることができるのではないか。

 そんなことを思ってあれこれ調べているうちに出会ったのが大崎さんのYouTubeチャンネルであった。大崎さんの研究対象はクチキゴキブリといって、ふだん東京の人間が家でお目にかかるタイプとは違う種類だが。

 本書にはこれまでのゴキ研究の遍歴と、研究者としての歩みが収められている。端的にいってめちゃくちゃ面白い本だった。「ゴキブリのことを深く知ってやろう」という一番最初の動機はもはや忘れ、先行研究と新規性のはざまでゴキの観察に勤しむご本人の語りにどうしようもなく惹かれていた(もちろん研究内容に関する記述も面白い。専門的な内容をわかりやすく書くのがとても上手い)。

 言葉の端々から謙虚なお人柄が垣間見えるが、それでも「自分の研究が世界で一番面白いと本気で思っている(p.255)」とのことで、力強い。研究者って本当にタフな人々だと思う。

 

10.ガッサーン・カナファーニー 黒田寿郎/奴田原睦明訳『ハイファに戻って/太陽の男たち』河出書房新社河出文庫

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 昨秋より、電波に乗って東京まで流れてくる数々のニュース。ニュースを目にし乍ら、たしかパレスチナの作家が書いた小説が本棚にあったはず……と手を伸ばしたのがこの本だった。結局、読み終わるまでにここまで時間をかけてしまった。

 これは小説だけれど、ひとつひとつの物語の根本にあるものは歴史的な事実。1948年、或いはもっとそれ以前以降、パレスチナで起こり続けてきたできごとと、そのできごとに巻き込まれてきた「普通の住民」の姿が、(逆説的だが)フィクションの形をとり、かつどこまでも現実的なものとして読者の前に立ち現れる。

 表題作『ハイファに戻って』は、1948年にイスラエル(とイギリス)の軍がハイファに介入するシーンから始まる。アラブ人の若い夫婦は混乱の最中、幼い子を家に残したままヨルダン川西岸のラーマッラーに逃れる。20年後、夫婦はもと住んでいたハイファに戻る機会を得て、そこでなんと子どもと再会する。しかし、子どもは成人してイスラエル軍の所属となっていた。あまりに遣る瀬ない分断の物語。「祖国というのはね、このようなすべてのことが起ってはいけないところのことなのだよ(pp.257-258)」。

 幾十年以上起こり続けている─決して昨秋、「急に」起ったのではない─分断は、現在に至るまでに 巨大な暴力となり、無辜の人々を脅かし続けている。

 先月に続き、一刻も早い停戦と、ガザ、ヨルダン川西岸、そして世界のあらゆる地域で起こっている不当な権利侵害の停止を切に願います。

 

11島崎敏樹『感情の世界』岩波書店岩波文庫

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 書店に行くときはなにか目当てのものがきちんとあることが多いが、ときには偶然の出会いを求めていくこともある。この本は後者のパターンで、『感情の世界』というタイトルにピンときて買った。

 高校時代の日本史の先生が「歴史の原動力は感情なんだよ」というようなことを言っていて、妙に納得したことがある。「金が欲しい」「土地が欲しい」、たしかに突き詰めれば感情に行きつくと言えるかも。そのわりには、「感情的になるのはダサい」「感情よりロジック」でといったように、なにかと脇に置かれがちなのもまた感情だったりする。

 本書は『感情の世界』ということで人間に生まれうるさまざまな感情の形態を、ほかの感情との比較などを交えて掘り下げていく。

 「よろこびが自己発展的生命の「現在」における快の感情であったのとちがって、希望の方は自分を未来の座にすえて、その自分へととどこうとする努力と不安からなりたち、したがってかすかの不快さえまじる(p.56)」

 希望には「不快」がちょっと混じっているのだそうだ。面白い。他にも「感情は物にもある」など、見出しから「マジ?」と興味をそそられるところも多い。時代を超える面白さとはこのことか、と感嘆した。

 

12.ニール・ホール 大森一輝訳『ただの黒人であることの重み ニール・ホール詩集』彩流社

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 医師として働く傍らで多くの詩を発表している作者が、アフリカ系アメリカ人として生きてきた経験にもとづいた作品群で、アメリカにおける差別や抑圧をストレートに告発する内容となっている。「詩」というものをどこか漠然とした、柔らかなものであると考えている人は結構いると思うが(私もそうだった)、そういった印象とは真逆のスタイルと言えそうである。

 「訳者あとがき」では上記のような点について、日本の読者が受けるであろう感覚を予測し、それに対する回答まで記載している(「黒人文学者が、「文学性」を高めようとして、自らの苦しさや悲しみ・怒りや喜びについて書くのを控えることのほうが、人種だけには決して触れないという意味で、極度に人種に囚われた態度だと言わざるを得ません(p.123)」)。

 どの詩も重い読後感を残すが、自分としては表題作「ただの黒人であることの重み」がもっとも印象深い。

 「私を見た途端に/車のドアがロックされる/私を見た途端に/デパートの通路で遊んでいた子どもたちが呼び戻される(p.9)」

 ニュースなどで大々的に報道される人種問題も多くの人の関心を惹くが、実際には上記引用のような「日常の風景」こそが被抑圧者を日々傷つけているのだろう。そんな事実を、遠く離れたこの国まで届けてくれるのは、たしかに詩の言語なのかもしれない。

 

13.キム・へジン 古川綾子訳『君という生活』筑摩書房

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 韓国・大邱(テグ)出身の作家による短編集。全編にわたって「私」と「君」という人称が使われているのが特徴的で、それぞれ舞台や設定は違えど、基本的にはふたりの人間の関係性を一人称視点で描きとっていく。

 日本語版に寄せた作家のメッセージには、「親密な関係において感じる微妙な感情の変化を描いています(p.211)」と記されている。親密な関係とは、家族や恋人、信頼を寄せる友人などさまざまである。「この人となら仲良くなれそうだ」と思った人でも、深くつき合ううちに出自や経済観、あるいは単に性格の差などから徐々に「なにか違うな」と思い始め、心が離れていくというのは、ある程度は誰にでも経験のあることだろうと思う。本書に収められた物語では、それぞれの関係性における「差」や「離別」をときに穏やかに、ときに激烈に描いており、そこにシンパシー/エンパシーを覚える読者も多いのではないか。

 また、訳者あとがきでも言及されていることだが、本書は一読しただけでは人物の属性や性別などを想起しづらい書き方になっているのが興味深かった。それは「私」「君」という人称の多用のためでもあり、(またおそらく意図的に)本文中での人物解説を省いているためでもあるだろう。こうしたジェンダーレスな書き方は近年、韓国文学では増えているそうである(p.215)。

2024年2月 Record & Live

2月の記録。今年は閏年でしたね。1ヶ月がいつもより24時間長いって、結構デカい。 

 

●Records

Weird Faith – Madi Diaz

ハリー・スタイルズのバックバンドのメンバーも務めたギタリスト・ソングライターであるMadi Diazの6枚目のアルバム。全体にフォーキーでシンプルな音像が印象的で、メロディアスなヴォーカルラインと親しみやすいコード遣いがダイレクトに刺さる。

 結構どの曲も甲乙つけがたいぐらいに好きだったが、選ぶとしたら#2「Everything Almost」と#4「Hurting You」か。特に後者の、ピアノに乗せて歌われる素朴な歌声がとても癖になる。リリックも印象的で、「Hurting you is hurting me」「So I do it alone」といった、親密な人との悲しい経験や自立を思わせる言葉が並び、逆説的なラヴソングのような仕上がり。

 

Oh No – Same Side

・The Story So Far、Elder BrotherといったバンドでギタリストをしているKevin Geyerのソロプロジェクト……と書いたが、正直今まで知らない人だった。本作を聴いて、興味が湧いている。

 10曲で27分のコンパクトなアルバム。かわいいシンセサウンドにローファイなヴォーカルが乗る#1「Before」からSparklehorseのような音楽性をイメージした。実際にはそのあたりの片鱗は感じつつも、もう少しストレートなロックサウンドで、素直に気持ちよく聴ける。ギタリストというだけあってギターの表現の幅が広く、ガシッと歪んだ音から#3「Cruise」のようなアコースティックサウンドまで、27分の間にいろいろ聴ける。

 

Wall of Eyes – The Smile

・The Smileの新譜。じつはそこまで活動を追っていたわけではなかったが、とはいえ中学生時代からRadioheadを聴きまくっていた自分としては流石にスルーできるわけもなく。

 もう多くの人がレビューを述べていると思うので自分がここで言うまでもないのだが、素晴らしい楽曲群だった。特に好きなのは#4「Under Our Pillows」と#7「Bending Hectic」。一度はあれだけバンドサウンドから離れたトムが、なんだかんだで弦楽器にこだわりながら作曲し続けているのは興味深い。あと、The Smileではよくトムがベースを弾いている印象があるが、ベースを弾きながら歌うのとギタボするのとで(本人が)どんな違いを感じているのか気になる。

 

Harm’s Way – Ducks Ltd.

・カナダのギターポップデュオの2ndアルバム。ジャキッとしたクリーンギターの音とシンプルなリズムがよい(よく知らなかったが、彼らの楽曲のようなサウンドをJungle Popというらしい)。

 全編を通して、シングルストロークでチキチキ鳴っているハイハットがどこか垢抜けないながらも独特の疾走感を醸し出して面白かったのだが、どうもこれは打ち込みらしい(RatboysのMarcusがドラムを演奏している曲もある。Ratboysのメンバーは他にも結構参加しているよう)。そんなDIY感とパーソナルな歌詞が全体をまとめつつも、Thin Lizzyなどの先人へのリスペクトも込められており、“今”感とクラシック感とのバランスが絶妙。#4「Train Full of Gasoline」と#5「Deleted Scenes」の流れが好き。

 

Snow from Yesterday – Manu Delago

ビョークのツアーメンバーなども務めるパーカッショニスト、Manu Delagoの新譜。ハングと呼ばれる打楽器(UFOのような形をしていて、手で叩く場所によって音が変わる)の名手だそう。

 個人的には、一聴しただけでは「パーカッショニストが作曲した」とは気づかないほど曲調が幅広く、自身の演奏楽器に囚われないアイデアの深さを感じた。リズムよりもむしろメロディ、ハーモニーの妙に重きを置いている印象。

 ヴォーカリストのコレクティブ・Mad About Lemonをフィーチャーした歌ものもよいが、特に惹かれたのは#2「Little Heritage」や#5「Ode to Earth」といったインスト楽曲。曲調やタイトルから、なんとなく「文明以降」をテーマにしているのかな、という雰囲気を感じる。

 

Digital Heartifacts – L Devine

・L Devineというソングライターのことは本作で初めて知ることとなった。同じタイミングで聴いた1stアルバムがかなりエレクトロ寄りになのに対してこの2ndアルバムは生楽器のサウンドが目立つ。少しリサーチしてみるとThe ClashSex Pistolsからバンド音楽に入ったらしく(それはそれで意外)、あくまでギターサウンドがルーツにあるのだと思う。

 #1「Eaten Alive」のリフレインはどこかRadioheadの「Where I End and You Begin.」を思わせ、綺麗なヴォーカルに不穏な歌詞を乗せるUKの伝統のようなものをちょっと感じる。#2「Push It Down」、#5「Miscommunikaty」はアコギのアルペジオが電子ビートに乗って現れ、不思議なチル感。#9「Bully」はシンプルなトラックに切実な詞が刺さる。

 

新解釈コラボレーションアルバム「いきものがかりmeets」 – Various Artists

・西田修大氏がアレンジし、君島大空氏がギターで参加している#9「じょいふる(アイナ・ジ・エンド)」を目当てに聴いたが、全編通して面白いアルバムだった。

 いきものがかりは正直、しっかり追っていたバンドではなく、小学校の「お昼の放送」でよく流れていたから有名な曲は知っているという程度。しかし、本作ではそれこそ自分と同年代で、小学生時分にリアルタイムでいきものがかりを聴いていたであろう人々が楽曲をどう再解釈するかというのが見れる(聴ける)。20年でJ-Popに起こったサウンドの変遷が垣間見える感じ。

 #8「ブルーバード(yama)」〜上述「じょいふる」〜#10「YELL(ゆず)」の流れが好き。「YELL」がめっちゃ「さよならエレジー」っぽいなと思ったら、アレンジャー同じ人らしい。

 

1624 - EP – No Buses

・No Busesは折に触れて聴いてはきたが、なんとなく初期アクモンやリバティーンズに通じるインディー〜ガレージサウンドのバンド、というイメージをもっていた。が、このEPではかなりオルタナみが深いというか、ギターの使い方やヴォーカルの処理などかなり細かく、かつ幅広い表現を試している印象を受ける。

 #1「Slip, Fall, Sleep」はメランコリックなクリーンギターのアルペジオから入り、情景描写メインのリリックが穏やかに歌われた後に歪んだギターがガッと入る。サビはなし。#2「Ecohh」はシンセベースとヴォーカルエフェクトがヒップホップのような空気感をつくる。#3「Distance」ではまたテクニカルなギターが聴ける。アルバムはどんなものになるのだろうか、楽しみ。

 

Country of Frenzy -熱狂の国- – LA SEÑAS

・今いちばんライヴを観に行きたいと思っている音楽集団のひとつがこのLA SEÑAS(ラ・セーニャス)。おそらく世界各地から集めた打楽器(と、ときどき弦楽器)奏者がウン十人集まってひとつの楽曲を演奏しているシーンはSNSで流れてくる短い動画でも圧巻。

 ほぼ打楽器のみで構成された音楽というのは今まであまり聴いてこなかったのでどんなものだろう、と思っていたのだが、ただただカッコいい。表題曲の#2「Country of Frenzy」でハートを掴まれてしまった。小学校のときに音楽の授業で聴いた、インドネシアの「ガムラン」をちょっと思い出したりもしたが、きっとリファレンスは世界中の音楽だろう(#9「Japanesque」は日本の祭囃子ですよね)。ちなみにLA SEÑASはスペイン語でThe Signという意味だった。

 

Mount Matsu – Yin Yin

・今年のフジロックに来ることが決定しているオランダのバンド、Yin Yin。アジア文化への憧憬を西洋のダンスビートに昇華・ブレンドしつつ、アルバムごとになんらかのテーマを据えているようだが、ここへきてジャパンがテーマのアルバムがやってきた。

 #1「The Yeat of the Rabbit」は卯年ってことかしら(もう終わったけど)。和なフレーズを頑張ってギターで出してるの可愛い〜と思っていたら予想外のリズムでドラムが入ってきて軽めに度肝を抜かれる。曲全体は結構シブめでそれもギャップ。続く#2「Takahashi Timing」は幸宏さんへのオマージュかと思ったら、絶対に遅刻をしない日本人マネージャーを称える曲らしい。なんやそれ。刑事ドラマ風の#5「The Perseverance of Sano」、ギターのカッティングがクールな#「Tokyo Disco」も好き。

 

ROUNDABOUT – タニタツヤ

・少し前まではヨルシカでベースを弾いている人、というぐらいの認識だったのだが、#2「青のすみか」に普通にハマってしまい、ちょいちょい聴いている。

 たぶんその気になればゴリゴリに(ベースを)弾きまくれるというか、そういうアレンジができる方なのだと思うけれど、曲を聴いていると意外なほどシンプルな部分もある。ヴァースで動いたあと、コーラスではルートに徹したりなど。なんていうところを聴いていると、ある意味それもベーシスト然とした曲作りなのかもしれないなと思った。あくまで歌モノとして、各パートに目配せをしながらテクいところとメロを際立たせるところのバランスをとっていく感じ。バンマス、コンダクター的な視点がしっかりあって興味深い。

 

Where we’ve been, Where we go from here – Friko

・またすごく好きなバンドに出会ってしまった。友人に「これ聴いてみ」と連絡をもらって聴いてみたのは2週間ほど前だが、それからというもの折に触れて再生している。#1「Where We’ve Been」からもう好きだった。叙情的な歌メロにモッタリしたドラム、そしてだんだん盛り上がって参りまして、最後は爆音ギター。嫌いなわけがないです。

 なんとなくWilcoWeezerあたりと比較する人が多いのはうなづける。ザ・UKオルタナという印象のアレンジではありつつ、現代的で綺麗なミックスだし聴いていて変にあてられるところがない(オルタナ、好きだけどたまに聴いていてえらく疲れることがあるので)。来日公演とかあれば絶対に行きたい。O-EASTあたりで観たい。

 

●Live

2/12 Meshell Ndegeocello @Billboard Live東京

 昨年、アルバム「The Omnichord Real Book」をリリースしたMeshell。個人的にMeshellについてはベーシストとして認識していたが、この日はベースを持たない曲も多く、コンポーザー、或いはシンガーとしての側面が前に出ていた。全体にドリーミーな雰囲気に包まれたライヴだったが、テクニックでオーディエンスを惹き込む場面もありカッコよかった。音楽に対するこの多角的なアプローチと見せ方が、Meshellの大きな魅力なのだろう。

 

2/17 Humanity #6 @下北沢LIVEHAUS

ライヴ当日の利益分を全額、ガザ侵攻で被害を受けた人々のサポートに充てるドネーションイベント。出演はmei ehara、Nobuki Akiyama(DYGL)、DJにMaika Loubté。演奏はもちろんのこと、秋山さんや江原さんの「言葉」を聞くライヴになった。パレスチナでのできごとに目を向けながら、東京で音楽を奏でること、踊ることの意味は何か? 考えられることはいろいろある。チャリティグッズも、まだ持っていないものをいくつか持ち帰らせてもらった。

 

出演したライヴは今月も2回。

2回とも生活の設計でサポートベース、2/10@鶴舞 K.D.Japónと2/18@下北沢BASEMENT BAR。一緒に演奏した、アンド会場でお会いできたすべての皆さま、ありがとうございました。

不完全中高一貫校

 結局途中で投げ出してしまったのだが、大学生のときに1年だけ学校の先生になるための勉強をしていたことがある。いわゆる教職課程というやつである。

 その節に、中学と高校がセットになっている「中高一貫校」というやつのうち、高校から学生を取らずに中学受験だけで入試を完結させる学校のことを「完全中高一貫校」と呼ぶことを知った。有名な学校でいうと麻布や雙葉なんかがそれである。

 自分が育った地域には中高一貫校が少なかった。ゆえに都会に出て一貫校の絶対数の多さに驚いた記憶がある。さらに学校によっては高校からは入学者をとりませーん、ともなれば、都会の学校を知らなかった人間からすれば「そんなことが許されていいのかッッッ!!」という話である。一方でまあ合理的なシステムだということも理解できるところではある(とはいえこれは教育格差の問題にもつながってくる。ともかく情報強者になるよりほかにほんとうに道はないのか、と考えさせられる)。

 

 ところで、大好きな漫画である『違国日記』を読み返している。1〜3巻のフィジカル(って言い方、本や漫画にも適用していいんでしょうかね)は人に貸してしまっているが、大丈夫、電子書籍ももっている。ということで取り急ぎ電子版を読んでいる。

 2巻のpage.8は印象的なエピソードである。友人とトラブり、中学の卒業式に出ずに帰ってきてしまった姪・朝に叔母・槙生がこんなことを語る。

 

「学生時代の友人が一生ものとは言わない/大人になってからの方がかえって気の合う友達もできた/でもダイゴとかは……/…なんだろうな」

「…お互いを10なん歳から知っている人間がいてくれることは ときどきすごく必要だった/わたしにはね」

 

 ダイゴ、とは槙生の中学時代からの友人である。作中で2人は都内の中高一貫校に通っていたことが示唆されている(おそらく私立だろう)。中高6年同じ学舎、というのはさまざまメリットがあろうけれども、ここが非常に大きなアドだよなと思った。私が触れることのできなかった感覚だと思った(末尾の「わたしにはね」という言葉の深い思慮が沁みた)。

 

 

 地元の中学校では人間関係の形成をうまくできなかった。中学校の同級生で、今でも連絡をとれる人間は大げさにではなくひとりもいない。

 

 進学の際は中高一貫校に高校から入った(つまり「完全中高一貫校」ではなかったわけだ)。3年間で学校に馴染みきれたかというと、あまりそうは思わない(まあこれは自分自身の性格の問題が大きいだろうけれど)。個人的に仲良くなれた友人はいたけれど、学校全体の雰囲気とか、校舎への肌馴染みとかはまた別の問題である。そのあたりは、6年一緒にいるのと3年とではそりゃあ違う。やっぱりそこは、努力では埋めようもないことだ。

 

 

 ……なんていうことをずっと思っていたのだが、なんのはずみか、高校を出て何年も経つ昨年、当時の同級生と会って話す機会が結構あって楽しかった。在学中から親交があった友人はわかるのだが、全然そうでもない(と言っては失礼だが、向こうもそう思っているはずなので言っちゃう)友人と飲んだりもして面白かった。面白かったし、本当にありがたいことだと思う。

 

 なんとなく自分からは遠いところにあると思っていた「…お互いを10なん歳から知っている人間がいてくれることは ときどきすごく必要だった/わたしにはね」という台詞の解像度が、最近になって妙に上がっている。この台詞の本質は、中学からか高校からか、というところではないのかもしれない。

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