2024年12月 Books

 12月、たぶん先月より忙しかったと思うんだけどなんでか先月より多く読むことができた。マインドの問題か。昨日、「ブログはこれで最後」と言いましたが厳密にはこちらが最後です。こちらも読んでいただいた方、ありがとうございました。

 

1.品品『品品喫茶譚 III』品品堂

setapon.theshop.jp

 冬の文フリ東京で買った本、その1。大森でお会いし、下北沢でライヴを観たフォークシンガーの方(ライヴの話は先月のブログに書いた)。今回の文フリで新刊を出されるとのことだったのでブースにお邪魔した。

 品品さんが今までに行った、あるいは今も行っている喫茶店でのあれこれを各章(各店)4ページ程度でまとめたエッセイ集。それだけなのに、or should I say、それだけだからこそ、とてもいい。自分が行ったことのある喫茶店が出てくれば尚ワクワクする。

 あくまで喫茶店それ自体が目的なのではなくて、生活のなかに自然と喫茶店というものが出てくるのが良いんだと思う。彼が歌い、書き、読み、そこに当たり前のものとして珈琲もいる。

 本の特性上、あまり内容について細々したことを書くのは野暮でもあろうし、この辺にしておく。気になる人はぜひ買って読んでみてほしい。

 

2.飯村大樹『失われた「実家」を求めて』

note.com

 冬の文フリで買った本、その2。飯村さんは『サッド・バケーション』を拝読して以来、各SNSをフォローさせていただいていた方で、同郷ということもあり(一方的に)是非お話ししたい気持ちがった。今回それが叶ったうえ、私のバンド活動のことも知ってくださっていて嬉しかった。

 タイトルのとおり、ご本人にとっての「実家」について再考するために制作された本で、妹さんとご両親へのインタビューからなっている(お三方とも別々のインタビューであり、三部構成)。

 これまた本の特性上、(引用などして長々と語るよりは)気になる方には是非買って読んでいただきたい。「実家」や「家族」に対して複雑な思いを持っている人が読むことにはもちろん意味があると思うし、逆に家族と仲がいい、あるいは「家族たるもの仲良くてナンボじゃ」と思っている人が読んでもきっと何らかの気づきを得ることができると思う。

 

3井筒俊彦イスラーム生誕』中央公論新社(中公文庫)

www.chuko.co.jp

 日本のイスラーム学の巨匠・井筒俊彦による、イスラームの黎明からアラブの地で一定の立ち位置を得るまでの歴史を解説した1冊。イスラームの開祖ムハンマドの軌跡を追った第一部「ムハンマド伝」と、イスラーム以前(無道時代:ジャーヒリーヤ時代)の精神とイスラームの精神がどのようにクロスしていったか、コーランの引用を交えて検討する第二部「イスラームとは何か」の二部構成になっている。第一部と第二部の執筆時期には約30年ほどの隔たりがあるというから驚きである。

 決して簡単な内容ではなくむしろ専門知識を多く用いているはずなのだが、文章が理路整然、かつ緩急があって情感豊かに書かれているためか、読み物として非常に面白く、ぐんぐん読み進めてしまった。テーマはタイトルにもあるように「イスラーム生誕」なので、イスラームの戒律などの内容そのもの(なぜ酒を飲んではいけないかとか)や、ムハンマド以降の伝播の過程などは別の本に解説を譲っているようだが、本書に載っている内容を知るだけでもかなりイスラームという宗教に対する視界の曇りが開けると思った。個人的には。

 特にムハンマドが登場した当時のベドウィンイスラーム以前のアラブの民)の人生観の話だったり、既に「アブラハムの宗教」として存在していてキリスト教ユダヤ教との関係についてはとても興味深く読んだ。アラブ地域が茫漠たる砂漠であることなんかもイスラームの生誕としっかり関係しているようだ。

 同じ著者による『イスラーム文化』(岩波文庫)もイスラーム入門の名著らしいので、近く読んでみようと思う。

 

4キム・ソヨン 姜信子監訳 奥歯翻訳委員会訳『奥歯を噛みしめる 詩がうまれるとき』かたばみ書店

katabamishobo.com

 韓国の詩人によるエッセイ集。日本語訳が出ている詩集として『数学者の朝』(CUON)があり、昨年の11月に読んでいた。多用を言い訳に感想を書き留めていなかったことが悔やまれるが、心惹かれたページやフレーズのメモは残っていた。

 宇宙のどこか

 人が生きられぬ星で詩を書く者もいるだろう

 家畜を屠殺して肉を焼いて暮らすように 泰然と(『数学者の朝』p.47、「旅人」)

 エッセイのテーマは多岐にわたる。家族(特に母親)のこと、食のこと、あるいは場所や歴史のこと。韓国文学はたとえば小説であっても「母親と娘」の複雑な関係を描いたものだったり、記憶と味覚の結びつきを描いたものが多いイメージがある。歴史的・文化的に題材となるテーマが共通することが多いのかもしれないが、各作家の筆致は当然ながら異なるので既視性と新鮮性がしばしば同時に頭に飛び込んでくる。

 やはりというか、詩について、或いは「詩人」について語っている章が興味深かった。

わたしは詩人が嫌いだ。詩人が書いた詩も嫌いだ。ずっと前からそうだったし、これからはもっと嫌いになりそうだ。だけど、少し離れたところで、むこうを向いて、自身が待ち侘びていた言葉を詩に書き留めている人がいるという事実は、そんな人がこの地球上に思ったよりも多いという事実は、嫌いになれない(「わたしが詩人なら」p.163)

 この文章が単なる逆張りや言葉のアヤとはどうしても思えず、きっと本心なんだと思う。でも、おそらく「詩を書くことで自分の言葉を形づくること」、ひいては「詩を書くことで自分の言葉を形づくる人々がいるということ」は根本的に信じているのではないか。そんなことを思いながら冒頭の「旅人」の一節のことも思い出した。

 

5上林暁 山本善行撰『上林暁 傑作小説集 星を撒いた街』夏葉社

natsuhasha.com

 過去の読書記録を遡ってみると、上林暁は昨年の8月に同じ夏葉社刊行の『孤独先生』を読んだのが初読だった。それに惹かれて、比較的時間を措かずにこの本を買ったと思うのだが、結局長く積んでしまった。読書あるあるである。

 やはりというべきか、『孤独先生』を読んだときと同じ種類の感動があった。いわゆる私小説というジャンルで、自身や周囲の人々をそのまま登場人物としながらひとつの物語を成立させている。劇的な事件があるわけでもない生活を、じっと魅入るに値する光景に昇華するその筆力がまず素晴らしい。当たり前だけれど、ただ生活を文字に書き写すだけではこうはならないと思う。

 開花を楽しみにしていた庭の月見草を植木屋の手違いで刈り取られてしまうも、叱るに叱れず悶々と過ごすところから始まる「花の精」(もう冒頭から主人公=上林暁の人の良さが伺える)。物語の後半では、多摩の是政に月見草を取りに行くのだが、その情景描写が恐ろしく美しい。特にp.38、ガソリン・カア(気動車のことだろう)に乗って月見草の畑を通過していくシーン。

 もうひとつ選ぶとしたら、「諷詠詩人」か。病身の妻との思い出を描いた「病める魂」とも迷った。どちらも「悼み」をテーマにしている点は共通している。「諷詠詩人」はタイトル通り、風来坊然とした同時代詩人の高台鏡一郎を偲ぶ内容。友人・知人らが語る高台氏のエピソードはどれもなんとなく間が抜けていて(その最期すらも)、しかしそれが尚更に本作をほろ苦い読み味にさせているようだ。ユーモアとペーソスのやさしい同居が味わえる。

 

6.イーユン・リー 篠森ゆりこ訳『理由のない場所』河出書房新社河出文庫

www.kawade.co.jp

 『千年の祈り』のイーユン・リーによる、作家自身の体験を基盤とした小説。自死というかたちで永遠の16歳となった少年とその母の対話、という特殊な形式で16篇の物語が進んでいく。作中では「ニコライ」というロシア風の名前で呼ばれるその少年が、作家の実子であり、やはり16歳で自死しているヴィンセント・キーン・リーの写し鏡であることは作家自身のインタビューでも語られている。

 いわゆるところのmourning workに分類される作品なのだと思う。亡くなった子どもとの対話を「作品」として昇華することはまず第一に作家本人のケアとなるのだろう。そのうえで、究極にパーソナルなテーマのように見えてそこにある種の普遍性があればこそ、これほどまでに世界で読まれるものになるのだとも思う。

 作中の対話は決して穏やかなものばかりではなく、むしろニコライの挑発的な語り口が全体的にピリピリとした緊張感を与えてすらいる(訳者あとがきでも触れられているように、それらの語りは言うまでもなく「一から十まで彼女(=母)自身の言葉」なのだけれど)。さらに本作の場合、親と子の母語の違いなども作品の根底にあったりして、その辺りは予備知識なしではなかなか気づきにくい部分だと思う。

 率直にいって、『千年の祈り』とはかなり異なる読み応えを感じ、1度通読するのみで核心を掴むことは難しい本だった。ただ、ひとつ感じたことは、たとえばハン・ガンの『少年がくる』がそうであったように、「死者との対話を試みる」という文学的な試行においては小説という形式が強い必然性をもつということだ。

 

7江國香織『泳ぐのに、安全でも適切でもありません』集英社集英社文庫

www.shueisha.co.jp

 ふだん恋愛小説はあまり読まないのだけれど、江國香織さんのそれは文章のリズム感が好きで、こうして読むことがある。

 作家がアメリカで見かけた看板に着想を得て名付けられたこの短編集は、いずれも女性を主人公とした物語からなっている。そして登場人物の多くは、異性とただならぬ関係を持っている/いた人物である。

 私はアセクシュアル/アロマンティック男性なので、この物語で描かれる恋愛の胸の高鳴りや離別の苦しみに「同情」することはできても、心から「共感」することは難しい。現実の知人友人の「恋バナ」ですらよくわからないのに、いわんや、ではある。一方で(もし私が万のフォロワーをもつ有名人だったらワンチャン炎上していたかもしれないことを言うと)、不倫と名のつく関係性であることを承知のうえで、自らの求める愛を掴みにいこうとする人の気持ちは、なんとなく想像してみてしまう。まさに「安全でも適切でもない人生のなかで、愛にだけは躊躇わない──あるいは躊躇わなかった女たち」と裏表紙の文には書いてある。バレてしまえば確実に傷つく人がいる関係を美談にすることを是とは思わない(し、この小説集も美談では決してない)が、自分のような人間が「では、なぜ?」という疑問を抱いたとき、漠然とではあるが道を示してくれるような物語たちであるように思う。

 とはいえ、個人的にはSEXの雰囲気が薄めな「サマーブランケット」がいちばん好きな空気感だった。道子さんのような生活を送りたい、と素朴に思う。カフカ的な奇妙さのある「犬小屋」もなかなか強烈だった。

 

8.大村益夫 長璋吉、三枝壽勝編訳『朝鮮短編小説選(上)』岩波書店岩波文庫

www.iwanami.co.jp

 1920年代〜1930年代前半に書かれた、朝鮮半島の作家の手による短編小説を収録したアンソロジー。時期的には大日本帝国の統治の時期と重なり、表紙のイントロダクションにも「朝鮮の近代文学は、日本の統治に反対して起こった三・一運動の年─1919年に始まる」と記されている。市井の書き手の辿ってきた道は、往々にして植民地支配の歴史と地続きである。

 この短編集においては金東仁「笞刑」が日本統治下の刑務所の状況を描き、日本語を話す軍人の姿を明示している(この話が一番最初に配置されているのも、時代背景を大前提として読者に共有するという意味があるのだと思われる)。そのほかの作品は大きな権力機構を直接的に書いてはおらず、農村を舞台とした人間模様を書いたものが多い。

 玄鎮健「運のよい日」、姜敬愛「地下村」では、文字どおり極貧といえる状況でどうにか日々の生活を送ろうとする人々の奮闘と、同時に貧困の煽りを全身に受ける子どもたちの痛みが克明に描かれている。「地下村」の主人公は障碍を抱えた人物でもあり、そのような少数者性をもった人が当時おかれていた状況の記録にもなっている。

 また、いくつかの物語では家庭がありながらも身体を元手にして稼ぎを得る女性が描かれている。読んでみるとそのことが夫の公認だったりもして、そもそもの価値観が現代と違うところはあったのだろうが、これも当時のかの地で「いかにして生き延びるか」を模索していった人々の生の記録なのだと思う(これを単に「たくましい」とか「したたかである」といった言葉で綺麗にまとめるのは間違いだろう)。

 この短編集には下巻があるので、来年の課題図書にしたい。

 

9.大崎清夏『暗闇に手をひらく』リトルモア

littlemore.co.jp

 大崎さんの詩集を初めて手にとった。エッセイと小説には先にふれていて、その文章の魅力にはしっかりと惹かれていた。

 twililightさんでの先行発売で購入したが、本発売は2025年1月とのこと。ネタバレ(という概念が詩においてもあるのかどうかわからないが)になってもあれなので詳細に触れるのは控えるが、とても好きな、今この時期に読むことができることに強い歓びを感じる詩集だった。

 装幀のデザインも素晴らしい(著者の名前と出版社の名前が同じ級数で、こんなにもいやらしくない装幀がほかにあるだろうか?)。

 

10キム・ソヨン 姜信子訳『数学者の朝』CUON

chekccori-bookhouse.com

 上記の『奥歯を噛みしめる 詩がうまれるとき』を読むにあたって手に取った流れで、『数学者の朝』も再読することにした。

 「同じ場所をふたたび訪ねてきたけれど/同じ時間をふたたび訪ねる方法がわからなかった(『おもちゃの世界』、p.26)」という一節に、本の再読も同じだろうかと思案する。昨年読んだときと、いま読んでいるこのとき、同じ詩から受け取る印象も異なっているし、心惹かれる一節も前回とは微妙に違っているのがおもしろい。

 改めて読んでみるに、風雨の音や動物の立てる音など、五感をわっと呼び起こされるような情景描写が秀逸だと感じる。並行して描かれる、人間の持ち得る、ある種普遍的な感傷の表現とのバランスが全体の「拍」のようなものを適切にコントロールしている感がある。

 もちろんそれだけではなくて、ふとした瞬間に登場する現実世界を写し取ったフレーズ─例えば「遠い国では 燃えあがったひとりの人間が/国じゅうを燃えあがらせたんだ(『広場の見える部屋』、p.132)」─などからは、詩人の目線が確実に世界のほうを向いていることが伝わる。前回読んだときから時間が経ち、「内省的な内容が多い詩集だったかな」という勝手な脳内イメージが作り上げられていたので、そういう意味でも再読してよかった。

 こちらが年内最後の読了となりました。

 

11.赤澤玉奈主宰『観察』パブリック・ブレイン

 冬の文フリで買った本、その3。今年の春の文フリでご挨拶させていただいた詩人・ひさ乃さんが制作されているZINE『波と緯度』の共著者(という言い方が正しいのかどうか)、広橋山羊さんが参加されているという情報を得て、買ってみた。

 6名の詩人が集まって「通勤・通学ルート、もしくは散歩道を詩にしてください」というテーマに沿った課題詩と、あとひとつ自由詩、合計2篇を書いている。そして、合評会というかたちでゲスト詩人・川口晴美さんの講評+参加詩人のディスカッションのシーンが読める。

 面白かった。現代詩はときどき読んできたものの、やはり専門的に勉強したわけではないので批評的なところではわかっていないことがとても多い。そんな私でも、元の詩と合評会を合わせて読んでみると「あ、プロの詩人ってこんなところに注目して読んでるんだ」とか「確かにここをこう変えたら雰囲気変わるかも」的なことがスッと入ってきた。載っている詩そのものも素晴らしいのだけど、「詩の読み方」という点で勉強になることが多かった。

 

12.サラ・ロイ 岡真理、小田切拓、早尾貴紀訳『ホロコーストからガザへ パレスチナの政治経済学』青土社

www.seidosha.co.jp

 サラ・ロイ氏はアメリカの政治経済学の研究者だが、ポーランドナチスユダヤ人絶滅政策を生き延びた両親をもつ、いわゆる「ホロコーストサヴァイヴァー」2世である。叔母は大戦後イスラエルに移住している。そうしたユダヤ的ルーツをもつ研究者による、パレスチナ(特にイスラエルによる対ガザ政策)研究の書。

 内容は2つのパートに分かれており、前半ではパレスチナの状況を経済学の視点から検証し、イスラエルの政策の不当性・暴力性を可視化していく。また、ファタハとハマースの関係やオスロ合意(とその恣意性)など、かの地に関係するさまざまなキーワードが有機的に連関していき、状況を悪化させていった流れが(こう言ってよいものならば)理解しやすく説明されている。「なぜガザは『貧しい』のか」、「イスラエルパレスチナの人的な動線はどのように変遷してきたか」など、経済学的、人口動態学的な部分からパレスチナの状況を詳しく知りたいとき、必ず助けになる内容だと思う。

 後半はロイ氏が自らの出自と関連づけてパレスチナ問題を語る。後半はさらに第一章「ホロコーストからパレスチナイスラエル問題へ」、第二章「〈新しい普遍性〉を求めて ポスト・ホロコースト世代とポスト・コロニアル世代の対話」に分かれる。後者は作家・徐京植との対話である。

 いずれの文章も極めて重要な示唆に満ちている。現代において占領や抑圧の意味するところ、そしてホロコーストへの批判と現在のイスラエルの行動への批判はさまざまな根拠のもと両立しうるということなど。

 同著者による『なぜガザなのか:パレスチナの分断、孤立化、反開発』も近く入手したいと思っている。即時の停戦と、被占領地の解放を願う。

2024年12月 Records & Lives

 12月。師走は忙しい定期でありつつ、この1年のなかでは比較的しっかり音楽を聴けた月になった。新譜として聴いたのは12枚。どれも良いアルバムでした。

 月一で音楽を記録していくのは、いったんこれで最後にしようと思う。またブログのプラットフォーム自体もnote(https://note.com/tetsuoji_)を一度試してみようと思っているので、本ブログの更新自体も年内でひとまず最後です。読んでいただいた方、ありがとうございました。

 

●Records

FIRST LOVE – んoon

 本作がキャリア初のフルアルバムである、ということにまず驚く。バンドの公式サイトを見ると「2014年結成」とあるから、10年目にしてようやく、ということになる。

 2018年のEP『Freeway』の表題曲を聴いて好きになり、以来その多彩な音楽的実験の過程の虜になっているバンド。微睡むようなピアノのコードプレイと狂気じみたヴァイオリン(か、もしくはヴィオラか)が先導するトラックに、ときどき思い出したように歌声が交わる#1「To Dog」は、かなり一癖あるが妙に惹かれる。#2「Kaiya」では一気にキャッチーに。現代的なソウルやR&B空気感が場をバリッと支配する。いわゆる「ウワモノ」を弾き続けるパートがいないためか、音像の中を縦横に動き回るベースが面白い。ラッパーのACE COOLを迎えた#4「Forest (feat. ACE COOL)」も速いBPMで進んでいきつつ、小刻みにブレーキを踏むようなラップが心地よい。ここでもフィルターをかけまくったテクいベースソロが聴ける(むしろベースにはアクセラレータとしての役割を感じる)。

 後半にかけて曲調は重く、落ち着いていく印象がある。んoonというバンドのな肝であるハープのサウンドが堪能できる#9「Touch」や、ベースが(アウトロを除いて)アルペジオに徹する#12「Billion」のようなメロウなナンバーもすごく好きだった。

 

Chance – Hedigan’s

 2024年という年がはじまったとき、正直に言って、Hedigan’sというバンドがこれほどまでに自分のなかで大きな存在になるとは思っていなかった。

 5月の恵比寿ガーデンホールのライヴに行ったのだって、大好きなGRAPEVINEと対バンするというのも理由として大きかった(結果、そこで見たライヴで一気に心惹かれたのだけれど)。

 上でGRAPEVINEの名前を出したのは、本作を聴いていてふとこのバンドのことが頭に浮かんだから。音楽的に似ているからとかそういうことではない。楽曲を聴いているときに湧き出てくるテンションの高まりとか、身体でリズムを取りたくなる感覚にすごく覚えがあって、それがGRAPEVINEのライヴで感じたそれに近いと思ったのだった。

 考えてみるに、どちらのバンドにもロックンロールやブルースがルーツとしてあるというのが大きいのだと思う。重心の低いリズムセクション、骨太なギター、スモーキーなキーボード……。そういう諸要素が、私のツボにすごく訴えてくる(そしてリリックス。田中さんも河西さんも読書家な印象がある)。

 どの楽曲もそれぞれに個性が光っていて、どれか選べと言われると困るけど、爽やかなバラードの(だけど詞はわりとビターな)#2「Apartment」からずっしりした#3「After That」、ダンサブルな#4「Gray」、フォーキーな#5「Replay」mswの流れは繰り返して聴いてしまう。楽しい。

 

From Zero – LINKIN PARK

 LINKIN PARKはそれほど熱心なファンだったというわけではなかった。友人にレコメンドされて高校生のときに2ndアルバム『Meteora』を聴き、思ったより好きになって2013年のサマソニではステージも観た(今にして思えば、その時点で10年前のアルバムであったMeteoraからの曲を結構演ってくれたような記憶がある)。直近数枚のアルバムは率直にいってあまり聴いていなかったが、2017年のChester Benningtonの訃報はやはり衝撃だった。

 女性ヴォーカリストのEmily Armstrongを迎えて再度LINKIN PARKとして活動するということを知ったときには驚きつつ関心もあった。ネットでたまたま見かけた「Faint」のライヴ映像は「やっぱりちょっと違うな」という思いもあったが、現体制でのオリジナル曲を楽しみに思う気持ちも同時に浮かんだのだった。

 で、本作。結論から言うとかなり好き。初期〜中期の雰囲気も随所に残しつつ、あくまで新体制のサウンドに合わせたアレンジやミックス。#4「Heavy Is the Crown」とか、構成とかトラックの組み方はかなり意識的に「Faint」に寄せてあるのだが、普通に新曲としても十分に聴ける。この曲に限らないが、過去へのリスペクトが「焼き直し」でなく「セルフオマージュ」としてしっかり成立している印象がある。リスペクトということで言えばEmilyのシャウトのロングトーンがめちゃくちゃChesterリスペクトでグッとくる。

 

Do What Makes You Happy – Alice Ivy

 Alice Ivyはオーストラリアのソングライター、プロデューサーだそう。今まで知らなかった人だった。Marvin GayeDiana Rossなどに影響を受けているとのことで、ソウルやディスコが根底にあるであろうことが伺える。

 アルバムの曲リストを見てみると、半数以上の曲でフィーチャリングを迎えているのが目に止まる。本人も歌うようだが、基本的に曲を書いて誰かに歌ってもらうというスタイルが板についているのかもしれない。

 #1「Howlin’ at the New Moon」(feat. Mayer Hawthorne)を一聴して、ダンスミュージックの波動を感じる。ベースはたぶん生ベースで、低域を絞ってサスティーンを切ったボンボン、というサウンド。低音を弾いた後にオク上を十六分で鳴らすフレージングも含めて、ここ数年のフジロックなんかでわりとよく聴くサウンドメイキングだ。続く#2「Popster」(feat. Låpsley)ではちょっと雰囲気が変わって、ダブっぽい雰囲気も加わる。一方でタイトルの#4「Do What Makes You Happy」はほぼ完全にバンドサウンドというか、全パートがバキバキに歪んでいるあたりはポストロックっぽさすら感じる(ヴォーカルはかなり濃いめのエフェクトがかかっていて、そこはエレクトロニックな感じだけど)。

 という感じでジャンル的には結構幅広い、面白いアルバムだった。一貫性という意味ではふわっとしているのかもしれないが、そこは本作の主眼ではない気がする。

 

see you, frail angel. sea adore you – Homecomings

 11月末にして、2024年の私的スキアルバムの上位に飛び込んできた。

 身体を両側から包み込むようなギターの音像。よく聴いていくと、打ち寄せる波や星を思わせるような短音フレーズやアルペジオと、ハイゲインなコードプレイが絶妙なバランスで成り立っているのが見えてくる。ノンビブラートでパキッとした立ち上がりの声で、かつ一つ一つのワードを慈しむように歌うヴォーカルも強い印象を残す。ノンダイアトニックのコードトーンを含むメロディをヴォーカルラインでなぞっていくところなど、きのこ帝国以降のオルタナ・シューゲの系譜に対する敬意も滲み出ている。

 夜明けの淡い光のような#1「angel near you」に始まり、中盤に向けてじわじわとボルテージが上がり、いったん力強い#7「recall(I’m with you)」に辿り着くが、そこで短いインタールードが入り、終盤に向けて空気が少し落ち着く。ポジティヴな希望を感じさせる3曲に続いて、柔らかな祈りのような#12「kaigansen」でアルバムが終わる。

 リリックにも惹かれる。#2「slowboat」から浮かび上がる情景。それは港かもしれないし、あるいは川の辺(ほと)りかもしれない。#4「blue poetty」の「ああ空が 今に降る予報だろう」の意味の通らなさと「言いたいことのわかりみ」の不思議な交錯。

 日常の中でどうしたって出会ってしまう傷や痛みを受け入れながら、未来を肯定して歩くことへの讃歌のようなアルバム。

 

Fluctor – aus

 ストリーミングで音楽を聴くことがほとんどとなったいま、ジャケ“買い”という言葉を軽率に口にするのも憚られるようになってきた。が、久々にまずジャケットに惹かれて聴いたのが今作だ。CG風のリキッドな質感をもったグラフィックにはどうにも弱い(最近だと長谷川白紙氏のアートワークなどにその傾向を感じるし、実際に目をひく)。このausなるアーティストが日本の音楽家で、国内のエレクトロニカのパイオニアであるということは遅ればせながら最近知った。

 「エレクトロニカ」という言葉から電子的なダンスビートを想像していたが、実際に聴き始めるとストリングスの持続音と鍵盤のミニマルなコードが耳に飛び込んでくる。もともと映像作品のために作られていた楽曲を再構成したもののようだが、実のところ聴いていると視覚的なイメージが湧き上がってくるから不思議だ。たとえば#1「Another」は森の中にぽっかりと現れた湖、#4「Slim」は子どもの頃によく通った道をふと思い浮かべた。あくまで私という人間の想像だけれど。その流れでいうと、#7「Celestial」もどういうわけか懐かしさに似た感覚が湧いてきた(こういうときに「サウダージ」と言ったりするんだろうか?)

 激しい情感の噴出などはなく、あくまでミニマルに、淡々と進んでいくアルバムという印象だが、それでいて1曲目から終曲に至るまでの筋というか緩急はきちんとあるようにも思う。#11「Nocturnal」〜#12「Ancestor」の最終の流れは鳥肌が立つレベルだと思う。

 

Please, remember Me – Jamie Isaac

 UKのソングライター&プロデューサー・Jamie Isaacの3rdアルバム。前作からは6年ぶりになるらしい。8曲33分と決して長尺ではないものの、アルバムとしての物語があって聴きごたえのある作品だと思う。

 エレクトロ要素も含んだR&B、ソウルというのが基本的なジャンル分けになるのだと思うが、#1「Intro」は副題の“Hymn(讃歌)”からも想像できるような宗教曲のような仕上がり。しかしリリックはなかなか不穏というか、「wine helps to make me clean」という一節などはRadioheadの「Motion Picture Soundtrack」のようなソフトな絶望感すら感じさせる。#2「Dad'’ Cab」からはダンスミュージック風の音楽になってちょっと安心する。本人がキーボーディストということもあってか、シンセやエレピが効果的にアンサンブルを引っ張っている楽曲が多い気がする。エレピの音が好きなので嬉しい(めっちゃ個人の感想)。

 #4「Interlude / Simple Pleaasures」ではジャズ風のリズムセクションが聴ける。なるほど、このアルバムには「Intro」と「Interlude」があり、それぞれアルバム全体で見るとちょっと特異性が高い楽曲になっている。それがこの「Please, remember me(どうか僕を忘れないで)」という物語にうまく栞を挟んでいるのかもしれない。

 で、終曲#8「Please, remember me」(満を持してのタイトルトラック!)が、また良い。ド頭の若干執拗なノンダイアトニックの連続からの、ふらふらと彷徨うようなピアノのコードに乗せて呟くようなヴォーカルが歩み出す。リリックは穏やかで朴訥としたラヴ・ソング。

 

虚仮の一念海馬に託す – ずっと真夜中でいいのに。

 Apple MusicやSpotifyには年末になるとその年によく聴いたアーティストやアルバムを教えてくれる機能があると思うのだが、私のアカウントでは2022年以来「よく聴いたアーティスト」の圧倒的第一位はずっと真夜中でいいのに。である。意外だ、とよく言われる。でもとにかく好きなんだから仕方のないことである。

 一応デビュー時から追ってはいるものの、明確にハートを掴まれたのは2ndアルバム『ぐされ』。1曲1曲の完成度はさることながらアルバムとしてのストーリー性に強く惹かれた。本作『虚仮の一念〜』は6曲のEPだが、今回の6曲の並びにも物語性がきちんとある気がして、そこがいい。6曲中3曲は既にシングルとして世に出ている曲で、かつ2曲はタイアップ楽曲で、普通なら世界観がばらけそうだがなかなかどうしてそうはならない。

 個人的ベストトラックは#4「クズリ念」。#3「海馬成長痛」と迷ったがこちらは先行シングルなので、EP新曲という意味で#4。改めてセルフオマージュが本当にうまいと思う。「袖のキルト」とか(これはカヴァーだけど)「フロントメモリー」あたりの楽曲をふっと思い出させるワンフレーズがさりげなく入ってくる。「この曲前と同じやんけwww」とは絶対にならないのに、過去作とのつながりはこれまた確かに感じるのが面白い。

 あとはやっぱり歌詞が引き続きいい。造語や同音異義語を多用した言葉遊びのようなリリックスは以前からのものだが、最近はそこにストレートな表現を投げ込むことも多いように感じる。そこで生まれる叙情には離れ難い魅力がある。

 

Mix Tape – Radical Face

 フロリダ州ジャクソンヴィルのSSW、Ben CooperのプロジェクトであるRadical Face。音楽性についてはSufjan Stephensなどが引き合いに出されることが多いようで、フォーキーなトラックをベースにしながら壮大なテーマを歌い上げているあたりが共通項になっていそうだ。

 #1「Lovesong」は打ち込みのシーケンスにパーカッションが合流し、追ってナチュラルなバンドサウンドが乗っかっていく。なんとなくスピッツの「渚」のライヴアレンジを思い出す。しかしこちらは途中でシンセのコード弾きが入ったりして、よりダンサブル・ディスコ風だ。#2「Safe and Sound」では一転してアコギとピアノのアレンジが印象的な、ウォームで素朴な音像になる。なんとなくこちらの音楽性の方が好きというか、メロディや声質により合っているような気がする。#4「Endless Summoner」も興味深い曲で、民族音楽風の打楽器(のサンプリング?)が奏でだす不思議なピッチのリフに、歪ませたギターが呼応していく。ややぶっきらぼうなメインヴォーカルに、時折讃美歌のようなコーラスが顔を覗かせるのも絶妙なバランス感覚だ。

 純粋な歌モノのアルバムかと思ったらそうでもなく、#8「Gymnopedie No.1」などはその名のとおり、エリック・サティの同名のピアノ曲をバンドアレンジしたものになっている。やたらドラムの手数が多いのが面白い。

 

Pieces, Falling – Bi Disc

 Bi Discなるアーティストの情報は検索してみてもあまり出てこない。BandcampとDiscogsのバイオグラフィを合わせるとドイツのキーボーディスト、サウンドエンジニアにしてプロデューサーであるJan Philipp Lorenzによるプロジェクトであるということがわかった。少なくとも日本語媒体による情報は皆無のようだ。

 今年は何枚かアンビエントエレクトロニカのアルバムを聴いてきたけれど、本作はそのなかでも少し異色というか、自分としては独特の聴後感(?)を得た作品だった。アンビエントというとセンチメントを極力排した無機質な音楽性をイメージするのだけど、本作の楽曲はリスナーの感情の一端をつつくことにあまり躊躇いがないように思う。数曲、リリックじみたものが加わっている楽曲がある(にしても多くの場合、そのヴォーカルトラックにはエフェクトがかけられ、歌われる語の意味や、そもそも何語で歌われているのかすらも掬い取りにくくなっている)こともその印象を助けているかもしれない。

 表題曲の#2「Pieces, Falling」は執拗に繰り返されるストリングスのリフ(どこかで聴いたことのあるフレーズではあり、既存曲のサンプリングかもしれない)に、キーボードのコードがややドラマチックに色を添える。一方でぼそぼそとつぶやくようなヴォーカルトラックとドラムトラックはあくまでドライ。その対比が面白い。タイトルどおりのインストゥルメンタル曲、#6「Unwritten Poems」もかなり好きな曲だった。

 

Crash Test Plane – Kylie V

 カナダのSSW。本名をKylie Van Slykeというらしい。オランダ系だろうか。2004年生まれの20歳にして、本作は既に2ndアルバムらしい。

 ギターの弾き語りをベースにした、ゆったりとしたテンポ・アレンジの楽曲が多く、リラックスして聴くことができる。ドリームポップの系譜に位置づけてよいように思いつつ、#7「Year of the Rabbit」時折入ってくるホーンセクションにはベッドルームの外の世界を感じる。似ていると言いたいわけではないけれど、ClairoやFaye Websterを好きな層ならばきっとガッチリはまる方向性ではないかと思う(自分がそうなので)。

 特に好きな曲は#5「Anomaly」、#6「Crash Test Plane」、#10「Swimming Pool」。線の細いウィスパーボイスがメインかと思っていたら、「Anomaly」でがっしりとした力強い歌いぶりが出てきてグッと心を掴まれる。

 リリックスは全てを理解できているわけではないけれど、自我の揺れ動きや他者との流動的な関係性など、抽象的でありつつ切実な内容を歌っているように受け取れる。本人のジェンダーアイデンティティはノンバイナリー(openly)で、そういったところも勿論作品に反映されているのだと思う。クィアのアーティストの文脈の中でもこれからどんどん存在感を強めていくのではないか。

 前述のとおり若干20歳ながら精力的に音源を出しているので、今後も継続してチェックしたい。

 

The Accident – Good Morning

 本作をもって初めて聴いたアーティスト。オーストラリア・メルボルン出身のインディーロック・デュオで、アー写をみると音楽好きの気さくな兄ちゃん2人組、という感じだが今年はWaxahatcheeに帯同して北米ツアーも敢行しているなど、結構ビッグな人たちのようだ。なんなら今年、3月にもアルバム(『Good Morning Seven』)を出しているので、今年1年で2枚アルバムを作っているということになる。すげえ。

 アルバムを聴いてみたら、まずシンプルに曲が良い。初めて聴くのでもスッと耳に馴染む親しみ深い歌メロと、キャッチーなコード遣い。それでいて#2「A Telephone Rings」の電子音や#5「Thrills Of The Family Man」のオルタナライクな長いアウトロなど、実験的・外し的な要素もわざとらしくなく盛り込まれている。早い話がめちゃくちゃタイプな音楽性である。「Thrills Of The Family Man」に関しては後半ずっと入っている木琴のようなアンプリング音がすごくクセになる。

 そのほかでいうと終曲である#9「Soft Rock Band」も好き。一時期のWilcoを思わせるようなバンドサウンドと気だるげなヴォーカル(ついでに曲の長さも。8分超)。そこで歌われているのは「亡命生活」とか「ゴールドラッシュ」とか、「炭素はもうそんなに存在しない」とか、わりと不穏でポリティカルな内容だ。しかし、コーラスは「Oh, I might have seen it all/But I know, oh, there's still so much to go」という、なかばヤケクソのようにもとれるポジティヴさ。英連邦流の皮肉か、純粋なカタルシスなのか。

 

●Live

12/11 やきやきヤンキーツアー2〜スナネコ建設の磨き仕上げ〜@神奈川県民ホール

 フジロックぶり2回目のずとまよさん。年に2回もこの才能の現場に立ち会えることが嬉しい。が、この人たちは今年マジでずっとライヴをしていたんじゃないかと思う。春にはアジアツアーもこなしていた。消費カロリーの高い曲ばかりなのに、どんな体力をしているんだろう。

 ずとまよのライヴはツアーが完走するまでライヴの詳細をwebに投稿するのを控えてほしい、というスタンスなので曲目とかは今のところ書けない。しかし、新曲もさることながら既存曲も新しいアレンジがどんどん披露されるのでとにかくライヴの観甲斐がある。

 神奈川県民ホールも初めて行ったが、気取りすぎない建物で音も良かった。元・横浜市民としては気分がいい。ずとまよ以外のアーティストも機会があったら観にきたいと素直に思えた。

 

12/14 はにほへゆ@渋谷LUSH

 前後の予定もあり、Glimpse Groupと湾々だけ聴いて移動した。LUSHは学生時代にコピーバンドのライヴでよく使わせていただいていたのと、社会人になってからも何度か出たので渋谷の箱では一番馴染みが深い。そのためか入場すると未だに控室用のWi-fiが勝手に繋がる(なんとなく申し訳ないので一応切っている)。

 Glimpse Groupが繰り広げる静と動のダイナミクスには、いつ観ても圧倒される。このバンドが最大音量で鳴っているときは、脳を直接ワシ掴みされてガシガシと揺さぶられるような興奮を覚える。一方で、その本質はあくまでメロウで情緒的な旋律にあるようにも思う。Dr.ガクさんのロータム前置き・立ち上がりドラムも(いつもながら)アツかった。

 湾々は山梨出身のSSW、鈴木ワタルさんのプロジェクトで、この日がバンドとしては初ライヴだそう。キャッチーなロックソングからスローバラードまで、既に楽曲の振れ幅は広い。リードギターには山中タクトバンドで一緒に演奏した藤田氏。ブリブリに歪んだソロもかっこよかったし、個人的には海の曲(曲名失念)のイントロのスライドバー+空間系エフェクトのフレーズがよかった。音から浮かんでくる風景がめちゃくちゃ海だった。

 客席で懐かしい友人にも出会え、いい日だった。

 

12/15 生活の礎 Vol.12@下北沢Three → Sings@下北沢Illas

 この日は昼から夜までずっと下北沢にいた。大学生みたいな1日だ。

 生活の礎はpersimmon、アサカスムクラブ、砂の壁の3組のステージ。アサカスムクラブは初見だったけれど、とにかく歌メロが良い。そしてそのとにかく良いメロの魅力を最大限に引き出すバンドアレンジも無二の魅力。歌メロと言ったけれど、インタールードのように挟まれるインスト曲もえらく沁みた。子どものころに見た、自然科学館的なところでやっていた展示のことをなぜかふと思い出した。ボサノバ風の曲があったのもブラジル音楽ファンとしては嬉しかった。

 persimmonと砂の壁は、この1年(persimmonに関しては「半年」と言ったほうが正しいか)で一気に大きな存在になった2バンドである。じつは開演にちょっと遅れたので、persimmonの頭数曲は聴けていないのだが、この前リリースされたばかりの「エズミ」の演奏に間に合ったのでヨシとする。大好きな曲です。砂の壁は諸事情により急遽アコースティックセットでの演奏だた。Threeでアコースティック、というある意味レアな現場に立ち会えたのかもしれない。普段のバンドセットではあまり聴かない曲から、「僕だけの海」「楽園」などの馴染みの曲まで。いつもと異なる一面が見られた。

 夜はIllasでの初開催イベント、Singへ。2024年お会いすることが多かった音楽人によるDJパーティーということで、こちらも楽しみにしていた。シンガーがセレクトするレコードはキャッチーでメロディアスなものが多いのか、8割は初めて聞く曲だったと思うのだがすごく自然にノれた。4人のDJの音楽のベン図は重なるところもありつつ、当然ながら少しずつズレてもいて、そのズレがたまらなく愉しい。もう既に第2回を楽しみにしている。

 

12/27 歳末三軒音楽夜会2024@三軒茶屋GRAPEFRUITMOON

 仕事納めの日、早めに退勤できる予感がしたので前日に行くことを決めた(別件で連絡を取っていた生活の設計Dr/MerchantサポートDrの薫平くんに「そういえば明日だよねー」みたいな感じで取り置きしてもらった)。そんなライトなノリで行ってみたイベントだったのだが、行ってよかった。

 Banda Planetarioは「音楽で世界を旅する」的なコンセプトだとMCで言っていた(気がする)が、そのとおりに異国情緒あふれるサウンドとメロディが印象的なインストバンド。ドラムレスで、ヴァイオリンとマンドリンがリードをとる。古いフランスやイタリアの映画のサウンドトラックのようでもあり、自分としては超ツボな音楽だった。

 huenicaはご夫婦でやられているユニットだそうで、Gt/VoとKey/Voの2人編成。ギターとキーボードという組み合わせはスタンダードなようでいて、どちらもリード・リズムをこなせる楽器なので表現できる幅がとても広く、それゆえにアレンジにも技術がいると思っている。Huenicaのおふたりはそこをしっかりおさえつつオリジナルな音楽世界を構築しているのが伝わり、とてもよかった。

 Merchantはもう、最高ロックバンドですね。前に見たのは東高円寺UFO clubでザ・ライブハウスという感じの会場だったのだが、今回のようなミュージックバーっぽい雰囲気の会場でもまったく違和感がない。メンバー3人それぞれが相当自由にプレイしていると思うのだが、一方で楽曲としての芯がどこにあるかを全員が確実に把握しているような堅牢さも合って、バンドとしてガチっとまとまっているのが本当にカッコいい。

 終盤、マスダミズキさんが参加して4人大勢で演った曲も最高だった。マスダさんがギターを弾いているところを観るのは久々だったけれど、佇まいも含めてあんなにアツくギターを弾く人はなかなか居ないなと思った。超ホットなセッションでした。

2024年11月 Books

 11月はやることが多かった。やること多かったって毎月言ってるかもなぁ。まあいいや。読書量はちょっと減って6冊。しかし焦らずじっくりと。

 

1岡潔『春宵十話』光文社(光文社文庫

www.kobunsha.com

 今年リリースされたアルバムでいちばんよく聴いたうちの1枚がLAIKA DAY DREAMの『Shun Ka Shu Tou』だった。本作のインスパイア元の1つにこの『春宵十話』が挙がっており、気になっていた本だった(というのと、半年ほど前にたまたま小林秀雄との対談本『人間の建設』〈新潮文庫〉を読んでいて、そこでも岡潔という人物は印象に残っていた)。

私は数学なんかをして人類にどういう利益があるのだと問う人に対しては、スミレはただスミレのように咲けばよいのであって、そのことが春の野にとってどのような影響があろうとなかろうと、スミレのあずかり知らないことだと答えてきた(はしがき、pp.3-4)

 この一節を読んだだけでももう「春宵」のイントロが脳内再生される気がするが、それは一旦措くとしても重要な文章だと思う。文系人間からすれば数学はよほど世の中の役に立っていると思うけれど(同時に、理工系学部の学科のうち唯一数学科だけは就職に苦労するというのも聞いたことがある)、この文のキモはそこではないだろう。探究の成果が出ること、花が咲くことはそれ自体が必然の現象であって、それが何かの利に資するかどうかはあくまでその次であるということ。後者が先行してしまう社会の(心的な意味も含めた)貧しさも同時に考える。

 本書には岡潔の数学観や教育観、あるいは日本(人)観に関する随筆が収録されており、ところどころ時代の旧さは感じつつも、文章そのものは怜悧で面白い。「義務教育私話」(p.113)、「数学を志す人に」(p.153)が特に興味深かった。

 

2.樋口敬二編『中谷宇吉郎随筆集』岩波書店岩波文庫

www.iwanami.co.jp

 前述の『春宵十話』にて、折に触れて名前が出てきたのが中谷宇吉郎とその実弟・中谷治宇二郎のことだった。中谷宇吉郎は雪の研究をした物理学者として、たしか小学校の教科書に出てきたと思う。あるいは当時読んでいた児童向け科学雑誌の特集だったか。

 とにかく『春宵十話』で名前が出てきたので、そういえば本棚に『中谷宇吉郎随筆集』があったので、読んでみることにした。

 改めて読んでみると、蓋し中谷宇吉郎岡潔の文章にはある種の共通点があると思う。テンポのよい言い切り、そこに至るまでのロジックの組み立て、そしてそこここに挟まれるボケ(という言い方が乱暴なのであれば、ユーモアの種)。自分はドのつく文系人間だけれど、それでも親しみやすさを感じさせるエッセンスが彼らの文章にはある。

 この本も、作家が北海道の山や研究室の極寒のもとで研究をした話に始まり、師と仰ぐ寺田寅彦のこと、夭逝した前述の弟・治宇二郎のことなどのほか、絵画のことや日本語の面白さに関することまでそのテーマは広範にわたる。作家の知見の幅広さもさることながら、それぞれの話題に沿って的確に話の運びを調節しているところがすごい。

 特に「日本のこころ」(p.120)と「I駅の一夜」(p.154)の二編が好きだった。どちらもたまたま列車が絡む話で、前者はあるロシア人文学者が北海道を旅行中、車内で日本語の本を読んでいると「この頃はお国でもそういう字が流行りますか」と声をかけられた話(本編では、この表現の奥ゆかしさについて語られる)。後者は作家自身の戦時中の経験で、東北電車のI駅近くで泊まった宿での出来事が語られる。有事下での文化のあり方を思う一編。

 

3.大崎清夏『目をあけてごらん、離陸するから』リトルモア

littlemore.co.jp

 少し前に、ラオス産のバナナというものを買った。日ごろ買うバナナよりは若干お高めで、モチモチした食感で、スイートスポットの出現を待たなくとも甘かった(そういえばブランド名も「あまみ」だった)。

 同じ東南アジアのタイやベトナムと比較して、ラオスという国に馴染みがあるという人はあまり多くないと思う。旅行記の類もあまり読んだことがない。そこで出会ったこの本、大崎清夏さんの本ということで手に取った時点から既に買う気ではいたが、帯の「友人のダンサーに「一緒にメコン川を眺めよう」と囁かれ、ラオスのフェスティバルへ」という一文にさらに背中を押された。

 小説と散文、そして上記のラオスの話を含む旅のエッセイからなる一冊。小説にしてもエッセイにしても「今/ここ」というくびきから離れ、未知の世界を旅する情緒が根底に流れている。詩人の書く文章だからか、まとまった長い文章であっても一つひとつの表現を丁寧に見ていくと詩的な比喩や文の「止め方」が目に入り、興味深い。

 これまた帯には「会社を辞め、身ひとつで詩を書いて生きることにした」とあるが、私は引き続き会社に勤め、なかなか長期の旅行に出ることもない。そういう身でありながらラオスリトアニアハバナといった世界の一面を覗くことができるのは、やはりこういう本があってこそのこと。書いてある出来事は(旅エッセイに関しては)結構ドタバタ、はちゃめちゃと言ってもいいようなところもあるけれど、温かく穏やかな読後感だった。

 

4管啓次郎『本と貝殻 書評/読書論』コトニ社

www.kotonisha.com

 先月読んだ『本は読めないものだから心配するな』(ちくま文庫)と同じ著者による、これも書評集(さらに、表紙・裏表紙のイラストレーションも同書と同じ惣田紗希さん)。

 たおやかに流れる言葉の海のような構成が『本は読めない〜』の魅力だったとすると、本書はテーマごとに見出しを設けてあり、あくまで自然に整理された眺めのよさが光る。どのページにどの本の話が書いてあったかも思い出しやすい。

 マルカム・ラウリー『火山の下』、木村友祐『イサの氾濫』、ドミニク・レステル『肉食の哲学』、ジャン・ジオノ『丘』、栩木伸明『アイルランド紀行──ジョイスからU2まで』……と、読んでみたくなった本を挙げていけばきりがない。ただでさえ積読が溜まっているのに。この本もまた、心なしか「旅すること」「未知の何かに出会うこと」につながる話を扱った文章が多く、旅行心(?)が沸き立つ。

 そして、それぞれの本を読むにあたっての留意点めいたものが要所に示されているのもありがたい。『火山の下』の書評には「それでもなお余計なことをつけ加えておくと、ジョン・ヒューストンによる映画化作品は、原作を読む前には観ないほうがいい。ヴィジュアルな提示は想像力にとって邪魔だ(p.61)」とある。

 「ヴィジュアルな提示は想像力にとって邪魔だ」。大事なことなので2回言ったが、これはふだん小説、ひいてはノンフィクションを読むときでも心得ておいてよいと思う。言葉で書かれたものから風景や匂いを想像するのは本当に愉しい。映像を観るのは、それから「解釈一致・解釈不一致」を確かめたければ、でよいと思う。

 

5.藤原辰史『分解の哲学 腐敗と発酵をめぐる思考』青土社

www.seidosha.co.jp

 結構長いこと積んでしまっていた本。数年ごしに、ついに。

 そもそも手に取ったきっかけは(大変恐縮ながら)『分解の哲学』というよりもむしろ、帯に寄せられた後藤正文坂本龍一福岡伸一の各氏の名前であった。尊敬するミュージシャン、そして『動的平衡』の福岡氏がレコメンドするならば、と手に取ってみたのだった。

 読み進めていくとそもそもがとても興味深く、示唆に富んだ本で、なぜもっと早く読まなかったのかと思わずにはおれなかった。

 美術作品や文学作品、玩具の積み木、マルクスの思想などを引用しつつ人間と「分解」の関係性を可視化し、分析していく。分析の対象は幅広いながらも各章の構造はロジカルでまとまりがあり、読んでいて晦渋さを感じることもなかった。

 チェコの作家カレル・チャペックの諸作品を通じて、「ロボット」や「労働」というキーワードから近代人類の分解観とその限界を考察する第3章『人類の臨界──チャペックの未来小説について』(p.109〜)は特に興味深く読んだ。チャペックの『白い病』(岩波文庫)もついでに買ってしまった。

食べる主体になるということは、自らの舌と歯と食道と胃袋と十二指腸と小腸と大腸とそのほかさまざまな消化器官およびそこから分泌される消化酵素、そして、特に大腸に棲む無数の腸内細菌を自分の内なるマルチチュードとして活性化することにほかならない(p.64)

 上記はかなり好きな一節である。人間はなにも自然を食べて利用する一方の存在ではなく、微生物の居住地、繁殖の地として利用される側でもあり、そこには消化=分解を通じた「共生」が存在するということ。人食いバクテリア等々を引き合いに出さずとも、日々の生活そのものが自然との共生であることを意識するだけでも、世界の見え方がだいぶん変わるように思う。

 

6チェ・ウニョン 牧野美加・横本麻矢・小林由紀訳 吉川凪監修『ショウコの微笑』CUON

chekccori-bookhouse.com

 「新しい韓国の文学」シリーズ、前に読んだハン・ガン『少年が来る』から少し間があいた。

 1984年生まれ(「キム・ジヨン」の同世代だ)の作家、チェ・ウニョンの作品を読むのは本作が初めて。今まで読んできた韓国文学は1950〜1970年代生まれの作家によるものが多く(あるいは、第二次世界大戦以前の朝鮮語作家)、親の世代まで含めると戦争を間近に体験している人々である。1984年生まれであれば物心ついたころには民主化も達成されていて、ひとつ上の世代とはかなり違った風景を見ているのではないかと思う。

 その世代的な感覚の違いが重要なキーになっているのが、二編目の「シンチャオ、シンチャオ」。主人公家族がドイツに住んでいたころの現地のベトナム系家族との交流を描いた作品で、文字通り家族ぐるみの付き合いをしていた人々の紐帯を、戦争に対するリアリティの違いが引き離していく瞬間がダイレクトに描かれる。被害の歴史は加害の歴史を正当化しない。

 表題作の「ショウコの微笑」も忘れ難い作品。「ショウコ」は名前のとおり日本人で、留学生として主人公と出会い、それから文通する仲になるもある時を境に連絡が途絶える。それだけならよくある話だが、ショウコが主人公の祖父に送っていた日本語の手紙や主人公の留学先での出来事が物語をあるあるではない方向に差し向けていく。登場人物たちの不可解とも取れる行動や真意を図りかねる言動が、却って現実感をいや増していく。

 ある種の韓国文学に通底する喪失と再生のナラティヴは健在でありつつ、世代による視界の差異が反映されていて新鮮な読書体験だった。チェ・ウニョンの作品は今後もチェックしていきたい。

 

* * *

 

 12月1日は文学フリマ東京・39に行ってきた。予想どおり人は多かったが、楽しかった。自分の文章を集めて1冊の本にするということは、それだけでたくさんの知力と体力を使うはずだ。もれなく賞賛に値します(それがどんなかたちであれ他者を損ない、中傷するものでないかぎりにおいて)。

Aセクシュアル表象の現在』も欲しかったが、会場に着いた時点で完売していた。それだけ多くの人の関心を集めているということだろう。通販で買えればと思います。

 

2024年11月 Records & Lives

 11月。今年いちばんドタバタしていたというか、やることがすごく多かった気がする。のわりにはライヴに出たり観たりもかなりしていた。ありがたいことである。アルバムは枚数はそんなに聴けなかったけれど、それでも新しくおもしろい音楽に多く出会えたような気がする。

 

●Records

Evergreen - Soccer Mommy

 米・ナッシュビル出身のミュージシャンSophie Allisonによるソロ・プロジェクトの4thアルバム。4枚目にして”Evergreen”というタイトルなのが、作品に込められた想いをストレートに表現していていい。

 もともと好きだった音楽家だが、本作のようなよりオーガニックで生感・バンド感のあるサウンドはダイレクトに感情を持っていかれる。キック・ハット・スネアの3点がどっしり聴けるミックスもよい。

 ストリングスが効果的にフィーチャーされたインディーフォーク調の#1「Lost」、グランジライクな歪みギターが気持ち良い#3「Driver」あたりが前半の個人的ハイライト。中盤以降は#6「Abigail」〜#7「Thinking Of You」の流れと、ラストトラック#10「Evergreen」が良かった。特に#6「Abigail」はアルバム全体を通しても一番好きな曲で、クリーンギターのアルペジオとシンセの音、ブリッジのコード進行の組み合わせが一種のノスタルジーすら感じさせる。シンプルかつコンパクトな構成ながら間違いなく名曲。

 

Night Palace - Mount Eerie

 正直全然知らなかったアーティストである。母音接続を忌避する傾向が強い英語では見慣れない「eerie」という単語は「不気味」という意味を持つらしい。バンドというか、これもPhil Elverumという作曲家のソロ・プロジェクトであるらしい。

 一聴して、言葉を選ばずに言えば「変なアルバムだ!!」と思った。ドローンと雅楽が手を組んだようなアンビエント風表題曲#1「Night Palace」に始まり、#2「Huge Fire」では突如バンドサウンドに。この曲はいわゆるポストロックといった感じなのだが、#3「Breaths」で再びアンビエント調になったかと思えば#4「Swallowed Alive」はもはやハードコアである。こんな感じでジャンル・テンポを変幻自在に往来しつつ、1時間半近くも独特の音楽世界をリスナーに提示する(今どき珍しい長さである)。

 聞き手を選ぶアルバムだとは思うけれど、#12「Blurred World」とか#13「I Heard Whales(I Think)」らへんの中盤の美メロラッシュは癖になりそうだし、音作りはあくまで緻密なのが面白い。

 

Gira - Momo.

 私がこのところ多大なリスペクトを感じてやまないブラジルの音楽だが、本作もブラジル出身のミュージシャンによるもの。ちなみにトリプルファイヤーの鳥居さんがインスタか何かで紹介しているのを見て知った。

 やはりというべきか、非常にツボにハマる、大好きなアルバムだった。#3「Passo De Avandar」のテクニカルなのだけれどどこかとぼけたギターのフレーズ。続けて聴いているうちにトリップしそうな気分にすらなる。#5「Jão」はブラジル音楽特有の「トッツトトッツト」というリズムパターンに朗々としたヴォーカルが乗り、カエターノ・ヴェローゾやジルベルト・ジルら往年の大家の諸作品も思わせる(現代的なサウンドも取り入れつつ、伝統的なブラジル音楽の系譜をしっかりカヴァーしているのもこのアルバムの魅力である)。

 最後の曲#10「Gira」の「パーティの終わり」感も、楽しくも切なくて好き。全体的にパーカッションがサウンドを引っ張っていてカッコよかった。

 

Two Star & The Dream Police - Mk. gee

 本名をMichael Todd Gordonというアメリカのアーティストで、1996年生まれ(同い年だ)で2017年デビュー。しかしフルアルバムは今作が初めてとのこと。

 ローファイな音質で、かつ(珍しいことでもないけれど)比較的ジャンルレスで伸び伸びとしたソングライティングがなんとも親しみやすく、肩肘を張らず聴ける感覚がある。1曲ずつがすっきりと短く、アルバム全体も33分とコンパクトなのが今風な感じがある。一方でサウンド自体は繊細というか、結構細かいことをやっている印象。#5「You got it」は詩を呟くようなヴォーカルの裏でゆらゆら動き続けるギターが印象的だし、#8「I Want」ではかなりトラック数を使ってシンセや管楽器系の音を入れている。

 ジャケ写もアー写もギターを持っているものが多いので、おそらくはマルチに楽器を弾ける人だろうけれど根幹にはギタリストとしての矜持があるのだろう。たしかになんだかんだで「ギターがカッコいい」アルバムでもあった。

 

Jouer – Annarella and Django

 不思議なアルバムに出会った。スウェーデン音楽学者でフルーティストでもあるAnnarellaがセネガルにフィールドワークに訪れたことがきっかけで生まれたアルバムだそう。全体にわたってフィーチャーされている撥弦楽器は西アフリカの楽器・ンゴニ。じつは自分の身近にもンゴニのプレイヤーがいるのでたまたまその名前を知っていたのだが、こういう形で出会うことになるとはわからないものである。

 前半は#2「Aduna Ak Asaman」〜#4「Nore More」が流れを作っていき、西洋音楽のリズム・ピッチの束縛を離れたトライバルな楽曲が聴ける。だんだんと鍵盤などが入ってきて、中盤〜後半は結構ポップな曲も多い。#8「Megaphone」などはタイトなドラムが入った、しっかり踊れる四拍子の曲だ。逆に言えば、そういう楽曲ですら舞台にしてしまうンゴニという楽器の奥深さ、面白さが表れているのかもしれない。フルートもあまり派手なプレイをかまさずに楽曲に色を添えているのが逆に良い。

 

Guided Tour - High Vis

 英国のパンク(ということになっている)バンド、High Vis。原宿のレコード店BIG LOVE RECORDSの公式HPに載っていた紹介文が面白すぎたので一旦引用します。

「ハードコア進化系からOASISばりインディ〜トレインスポッティング青春及び履き違えたヤンキーイズムの優しさを武器にオリジナルをついに確立した…」

 でも本当に的を射た紹介だと思う。UKらしくほんのちょっと皮肉めいた美メロとやさしい(易しいと優しいのダブルミーニング)進行で、基本的にキャッチーなんだけれど、ときどき我慢できずにギターのフィードバックノイズを出してしまったり(#2「Drop Me Out」)、バキバキに歪ませてしまったり(#4「Feeling Bless」)しまうところにハードコアの心を感じる。ベースも基本的にピックでゴリゴリ鳴らすスタイルのよう。それでいて#10「Mind’s a Lie」のようなダンサブルでクール寄りの楽曲も出してくるので油断できない。この曲は叫ぶようなメインヴォーカルに絡む女声ヴォーカルも印象的。

 

Songs Of A Lost World - The Cure

 The Cureは、存在はもちろん知っているけれど熱心に追ってきたバンドではなく、なんなら「Boys Don’t Cry」あの1曲のイメージに引っ張られたままここまで来た感がある。

 そんな状態で本作を聴いたので、ちょっと驚いた。陳腐な表現かもしれないが、アルバムタイトルとも相俟ってまるで映画のサウンドトラックのような印象を受ける。#1「Alone」、#3「A Fragile Thing」、#4「Warsong」と、世相を反映してかせずか、決して明るい歌たちではないことが楽曲タイトルだけ見ても伝わる。

 ピアノやシンセ、サンプリングをふんだんに使った壮大な音像はバンドというよりもむしろオーケストラのような質感さえ覚える。全体的にインストゥルメンタルのパートが多く、曲によってはヴォーカルはほとんど出てこない(ロバート・スミスのあの独特の歌声は、コレまたびっくりするくらい健在だけれど)。

 日常をともにするようなアルバムではないけれど、ときどき妙に聴きたくなる未来も見える。

 

Rong Weickness - Fievel Is Glauque

 ニューヨーカーのマルチ・インストゥルメンタリストにしてプロデューサーのZach Phillipsと、ブリュッセル出身のシンガーMa Clémentのデュオ。初めて聴いたけれど、シンプルにすごく好きだった。

 #1「Hover」から既におもしろい。親しみやすいメロディから入ったかと思えば後半で急にジャズ化。そのままラテンアメリカの香りが漂う#2「As Above So Below」に駆け込む。この曲はフルートの楽しげなオブリと、やたらテクいフレーズを連発しているベースの絡み合いが癖になる。全編にわたってフルートやサックスがフィーチャーされている場面が多いし、特に鍵盤のコードの使い方からしてジャズのエッセンスが含まれているのは間違いないと思うが、そのうえでかなりジャンルレスでチャレンジングなことをやっているアルバムだと思う。#13「Transparent」なんかはR&Bアシッド・ジャズの雰囲気も感じる。しかしまあベースのずっと賑やかなこと。コピーしろと言われたら、ちょっと嫌かもしれない。笑

 

●Live

11/7 開花-KAIHO-@下北沢THREE

 久しぶりに有給休暇をとってサクサク過ごした。プールに行って700mぐらい泳ぎ、喫茶店で本を読む。ちょっとクサいけれどもそういう日があったほうが間違いなく心の健康にいい。

 開花はキッサ・コッポラとシュガーダンスを観たくて行った。キッサ・コッポラは今一緒に生活の設計でサポートをやっているひろまつ君が(もっと前から)サポートで入っているので名前は知っていたのだけど、ライヴを観るのは地味に今回が初めて。軽やかさと芯の強さを兼ね備えたロックミュージックという感じでとてもよかった。ベースとリードギターのダブルサイドがSGなのもシブくて良い。

 シュガーダンスは6月に御茶ノ水KAKADOで対バン(一応)して以来。その時に聴いてとても好きだった「夜を返せ」という曲が聞けて嬉しかったのと、新曲「片手間の愛」がドンピシャでツボだった。音源化しないかな。

 前半のふせだ音楽俱楽部と既踏峰(きとうほう)もいいバンドだった。また観たい。

 

11/14 品品独演会『改名』の序@下北沢 古書ビビビ

 世田谷ピンポンズ、という名前は漠然と聴いたことがあった。古本屋や編集者のSNSで、その名を散見していた。そして10月のある日。大森のあんず文庫で本を買って珈琲を飲もうとカウンターに座したとき、既に隣に座していたのが世田谷ピンポンズ改め品品(ぴんぽん)氏その人であった。びっくりである。彼はフォークシンガーなのだった(あと、ソロシンガーだった)。

 現在は京都在住、旧名義の示すとおりかつては東京を拠点に活動しており、今も東京でライヴ等々する機会はあるそう。秋にやるライヴの情報をいただいて帰った。そして、都合のついた下北沢のライヴにお邪魔したという流れ。ライヴまで古書店でやるというのはおもしろい。

 肝心の音楽だけれど、普段それほど聴かないフォークというジャンル、ちょっと驚くくらい沁みた。ギター一本・歌声一本の音楽だから、メロディと詩がダイレクトに響くのがいい。宇都宮のショッピングセンターの曲が好きだった。

 

11/15 Only Heaven Knows@東高円寺U.F.O.CLUB

 色々と縁がありながら、まだ行くことができていなかったMerchantのライヴを目撃すべくU.F.O.CLUBへ。2度ほど来たことがあるはずのライヴハウスだけれど、久しぶりに来たらその独特な雰囲気に圧倒される。特に内装と照明がいい。あと今どきフロア全面喫煙可である。上着が燻される燻される。

 チェロを含んだ編成が印象的なオオニシノブヒサ&THE HENGE BANDの途中で入場。フロアとオーディエンスが近い。そしてMerchant、生演奏が強すぎる。文字通りのライヴ感そしてドライヴ感。自由奔放なプレイのように見えて、リズムはあくまでめちゃくちゃタイトである。スリーピースというシンプルな構成ゆえ各パートの魅力がダイレクトに伝わってくるのも堪らぬ(久しぶりにエレキギターという楽器そのものに「かっけ〜」という感情を抱いた)。かつ歌メロも良いときている。これはちょっとすごいバンドだ。

 ラストアクトのAdeel & Rebel with a Causeも往年のグラムロック〜Thriller期のMJを思わせる雰囲気でクールだった。

 

11/21 Slow Base presents “YONDER”@青山 月見ル君想フ

 Glider(つまりMerchantもとい栗田将治さん、そしてサポートベースのInoue Masayaさんは6日ぶり2回目である)を観に行くべく月見ルへ……と息巻いていたものの仕事が長引き、会場に着いたときには既にライヴ中盤であった。

 しかしそれで魅力が減るようなバンドではもちろんない。トラッドなロックのサウンドを芯に、ダンサブルでモダンな要素も煌びやかに纏いながら音世界が作られていく。たぶんだけれどGlider、もう10年近くあるいはもっと前にどこかで観ているはずなんですよね(Gliderのライヴ自体4年ぶりだったらしいのだけれど)。観ていてどこか懐かしい気持ちも覚えたのにはそれも理由にあるかもしれない。

 トリのSlowbaseもいいバンドだった。ラテンアメリカ音楽のエッセンスが感じられたり(リズムでわかる)、かたやアンビエントのような雰囲気のある楽曲もあったり。そんな感じでリファレンスは幅広いのだけれど、とっ散らかっていない、そんな音楽。好きでした。

 

11/22 SANGO ALBUM ONE MAN LIVE@渋谷7th Floor

 今年に出た3rdアルバム『SANGO ALBUM』のレコ発ライヴ。アルバムを聴いたときから絶対ライヴ行こ、と思っていたので、結構早くそれが叶ったのが嬉しい。住環境の変化などもあって宅録という形式にトライした、とMCで仰っていたが、(一方で)ライヴはやはりバンドスタイルでやろうと思ったとのこと。そのバンドメンバーもこんなに近くで観れちゃっていいんですか、と思うような豪華な面々。

 ライヴ本編も楽しく、優しい、心地よい時間だった。音源では人力と電子の絶妙なバランスがサウンドの肝になっていたように思うけれど、そんなアルバムの楽曲群をフルバンドセットで聴くと、当然ながらリズムや音圧の揺らぎ・ダイナミズムがより直截に伝わってきて、また印象が全然変わってくる。

 個人的にはコーラス隊も全員参加した「原色」のライヴVer. がとんでもなくよかった。アルバムではビートが打ち込みのためかどこかひやっとした印象のある曲だったけれど、ライヴではそこに生ドラムの熱量が加わり、気持ちテンポも早目で一気にバイタリティを感じる楽曲に。これはまた聴きたい。

 

11/27 YIN YIN Japan Tour 追加公演@代官山UNIT

 今年のフジロックで一気に虜になった人も多いであろうYIN YIN。友人がチケットを取ってくれ、仕事帰りに観にいくことに。

 ライヴについてはあれこれ言う必要もないだろう。四つ打ちというある種の制約の中で驚くほど多彩な景色を見せてくれる。全曲ノリノリで踊れるのに飽きない。そして改めて思うにキラーチューンの嵐である(「Tokyo Disco」「Takahashi Timing」あたりは当然アガりまくっていた。個人的にはMisirlou風味の「The Perserance of Sano」がいつ聴いてもノリまくれる)。

 そしてコレも当たり前なんだけど演奏が上手い。(要所要所でギターソロがあったりはすれど)基本的にテクニックをガンガン前に出すタイプのバンドではない。けれど、「地味だけど本当に上手くないとできないこと」をちゃんとマスターしたうえで遊びまくっているのがわかるので、ズルい。

 あとはエンターテイナーとしても素晴らしい人々だった。「最近覚えたサウンド」でファミマの入店SEを弾くのは正解すぎる。あれは確かに日本人なら誰でも知っている。

 

 *ライヴ出演は11月13日下北沢Basement Barと11月24日下北沢THREEの2本で、どちらも生活の設計のサポートベース。対バンもみんな良くて、自分の出番以外もずっと楽しいライヴだった。新曲がふたつほど増えたが自分のパートのアレンジが固まっていないので、要練習。

2024年10月 Books

 10月。なんだかんだで9月までずっとじわじわと暑かったから、10月にしてようやく秋が来た実感がある。と言うてる間に冬が来る。

 今月はSILENT BOOK CLUB@箱根行きの電車から始まって読書タイムにエンジンがかかり、久々に課題図書めいたものもできたりして、楽しかった。言うても本関連のイベントが増える時期であり、積読もまた増えてしまった。

 

1.キム・ミンジュ 岡裕美訳『北朝鮮に出勤します─開城工業団地で働いた一年間』新泉社

www.kinokuniya.co.jp

 このところ韓国と北朝鮮の間で穏やかでないニュースが続いている。2020年以降、相当緊張が強まっている時期じゃないだろうか。

 そんなときに、この本のタイトルで「開城(ケソン)工業団地」という場所がかつて北朝鮮にあったことを知った。2000年代の南北の歩み寄り(!)を象徴する存在で、北朝鮮が土地と労働力を、韓国が技術と資本を提供した造られたそう。21世紀に入ってから、南北が合同で産業を動かしていた時期があったとは……。まるで知らなかった。

 本書は、この開城工業団地の食堂で1年間勤務した韓国人栄養士の手記である。そもそも、著者のキム・ミンジュ氏は南北の統一にかかわる仕事を志しており、その過程で「北の飢餓問題を解決するために栄養の専門家になろう」という動機で栄養士になったそう(p.186)。そういう(栄養士という仕事への)たどりつき方もあるのか、と思った。

 内容は主に北の職員らとの「交流」を書き留めている。言うまでもないことだが、日本に住んでいるとまったくもって実像が見えてこない北朝鮮という国にも「普通の人々」が住んでいて、仕事をして食料を求め、生活をしている。そういった「普通の人々」のことを書いた本として、本書はかなり貴重なものなのではないかと思う。彼女ら(食堂の職員は女性が多い)がどのように仕事に出て、家族を養い、韓国人である著者に接するのか。それらが虚飾なく、平易な筆致で記されている。

 「北の人はほとんどの場合、一人だけでいるときは純朴そうに笑いながら頭を下げてあいさつし、二人以上になると目を伏せて無表情で通り過ぎる」(p.81)

 南の人間と親しげにしているところを誰かに見られてはいけないのだ。一方、他人の目がなければ南の人間であれごく普通の振る舞いとしてあいさつをする人々らしい。

 「北」にまつわるニュースのあれこれを眺めながら、本書に登場する「普通の人々」のことをふと考えた。

 

2.千葉雅也『センスの哲学』文藝春秋

books.bunshun.jp

 音楽をやっていると「センスがいい/悪い」という話題は必ずついてまわる。この歳になれば表立って人に「センス悪いね」なんて言うことはそうそうなくなっては来るものの、褒める分には「センス」という言葉はけっこう無限定に使われることが多い印象がある。しかし実際のところ「センス」とはなんぞや、あるいは「センスがいい」とはどういうことか、と説明しろと言われたら、できない人が多いのではないか。私もできない。

 そこで『センスの哲学』。これまでに数冊と読んできた千葉雅也先生の著作であり、前作(?)の『勉強の哲学』もとても印象的だったので、これだ、と思って手に取った。

 結論、とても興味深く、また何かポジティブな気持ちになれる本だった。センスという言葉から出発して、音楽や絵画、さらに餃子に至るまで話が展開され、全体としては芸術論という形になっている。「モデルの再現から降りることが、センスの目覚めである」(p.44)というのが比較的冒頭に出てくるキーワードだが、これなどは『勉強の哲学』で出てきた「ノリから降りること」「ノリ悪くあること」あたりの議論にも繋がってきそうだ。

 リズムというものを様々な経験に当てはめてみる箇所も面白かった。音楽におけるリズムはもちろんだが、本書では餃子を食べるときのテクスチャや味の変化の過程をリズムに置き換えて解説していく。それが「美味しさ」だったり「味の楽しさ」あたりの話に繋がっていくと。音楽人間としては「リズム」というと必ず音楽から話を始めてしまうので、眼から鱗である。リズムに関するキーワードとしては、「面白いリズムとは、ある程度の反復があり、差異が適度なバラツキで起こることである」(p.171)となっているが、ここに至るまでの議論も面白いので気になる向きは実際に読んでみてほしい。なお、「差異」と「反復」という語はジル・ドゥルーズのそれを踏襲している。

 章を追って展開していく本書そのもののリズムも(こういってよければ)たしかなセンスのもとに組み上げられていると思った。

 

3.三宅香帆『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』集英社集英社新書

www.shueisha.co.jp

  ありそうでなかったタイトルの本だと思う。そして、読書の習慣がある/あった人ならば間違いなくム、と気になる秀逸なタイトルである。この時点で新書としては「勝ち」と言ってもいいぐらいかもしれない。……ゆえに、実際に買って読むまでにワンテンポ遅れてしまった感がある(春にこの本がSNS上でバズっているのを見て、なぜか知らないかなんだか満足してしまった)。

 まあそれは言い訳として、タイトルどおりに働いていると本が読めなくなる理由を探っていく本書は、サブタイトルをつけるのならば「サラリーマンの読書史」とでもいうべき内容である。明治時代に始まって高度経済成長期、バブル、そしてスマホやインターネットが普及した現在に至るまで、経済的・政治的・文化的なキーワード(例えば明治期だったら「立身出世」とか)と絡めて、働く人がどんな本を買ってどのくらい読んでいたか、ということを調査していく過程は、端的に言って勉強になり、面白い。また、「読書ができなくてもインターネットができるのはなぜか」といったあるあるの疑問への回答も丁寧だと思ったし、「知識」と「情報」の差異から、「ノイズ」という軸で平成以降の読書という営為に関する位相のねじれを検討していく部分も興味深かった。

 最終結論に関しては「実際それができたらいいんだけどね…」と少し思わなくもないが、特に最近は敢えて言語化されてこなかったことというか、改めて口に出してみると大事なことだよなあと気づかされる内容ではある。

 

4.岸 惠子『ベラルーシの林檎朝日新聞出版(朝日文芸文庫)

ndlsearch.ndl.go.jp

 久々に立ち寄った横浜・日吉のとある古本屋で入手。女優、テレビレポーター、そして文筆家と、さまざまな顔をもつ著者による紀行文集である。

 『ベラルーシの林檎』というタイトルにまず惹かれ、さらに背表紙の「イスラエルパレスチナバルト三国──人は国境と同じ歩幅の動きを強いられる」という一文で始まるあらすじに、これは買って読まねばという思いをたしかにした。本書の文庫版の刊行は1996年。この時期、パレスチナ(それもガザ)に入った日本人の記録はきっと数少ないはずだ。

 岸さんはフランス人の医師・映画監督のイヴ・シァンピと結婚してパリに渡った人で、その地での経験からユダヤ、ひいてはイスラエルへの関心を深め、実際に取材に訪れている。本書にもイスラエルパレスチナ、双方での体験が書かれており貴重である。

「ふと、デヘイシャ難民キャンプで、私たちスタッフを取り囲んだイスラエル兵の中の一人が言った言葉を憶い出す。

『もうたくさんだ。投石は恐怖です。かと言って彼らに催涙弾を撃つのもほんとにいやです。お互いにもう憎み合うのはうんざりです』

 では、なぜ?

 国なき民ユダヤが独立国を持ったそのときから、パレスチナ・アラブは国なき民の不幸を肩がわりしてしまった」(p.109)

 このほかに、バルト三国や東欧諸国など、政治体制の過渡期にあった国々を多く回っており、行先ゆくさきでのできごとがときにリズミカルに、ときにシリアスに綴られている(1932年生まれの岸さんは、ご自身も戦争を体験されている。当時の体験は本書の冒頭で語られているし、それは全体の筆致にも無関係ではないだろう)。

 そして自身の、日本とフランスの狭間で生きるうえでの「アンコミュニカビリティ」の話。紀行文ではなく自伝的なフェーズが最後に入るのだけれど、これが本書全体のキーになっているよう。

 単なるルポエッセイの枠を超えて、さまざまな思考・関心への広がりの窓口になってくれる、そんな本だった。

 

5管啓次郎『本は読めないものだから心配するな』筑摩書房ちくま文庫

www.webchikuma.jp

 はからずも『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』に対するアンサーのようなタイトルの本を手に取ってしまった(もちろんこの2冊の発行に因果関係はなく、こちらの出版のほうが『なぜ働いていると〜』よりも先だ。

 これまでに読んだ本のなかでもかなり風変わりというか、自分が今までに出会ったことのないタイプの本だった。冒頭で本書の前提、つまり「本は読めないものだから心配するな」という話が提示される。読めないものだし、読んだそばから忘れていくものだ。そのことを気に病む必要はないと。また、筆者は「本に『冊』という単位はない(p.13)」という。「あらゆる本はあらゆる本へと、あらゆるページはあらゆるページへと、瞬時のうちに連結されてはまた離れることを繰り返している(同)」からだ。これも面白い考え方だと思うと同時に、言われてみればなんとなく実感がある。

 これ以降は、各段落において古今東西、さまざまな本をテーマに据えつつも、話題は筆者が世界を旅して見てきたものやその国の歴史、政治、大学制度に至るまで自由に飛び回る。まとまった章や項目といったものもなく、左上の柱にはすべて異なる言葉が記されている。1冊が大きな川、それも大小取り合せ、色とりどりの船が浮かぶ川のような本である。あるいは多種多様な樹々に周囲を囲まれた森のような本である(という意味でも惣田紗希さんのカバーイラストが本当に良いんです)。

 前述のとおり、章という章もなく、目次もないので、どこでどんな本の話をしていたのか(メモでもしていない限り)あとから見つけ出すのが困難である。また、膨大な情報量と多岐にわたる話題は、本書を「この本はこんな本だよ」と一言で言いあらわすことを難しくする。しかし、それこそがとりも直さず「本は読めなくて大丈夫」「忘れても大丈夫」という前提のたしかさを証明しているように思う。

 それでいて、数ページに一度は心を惹く文章がぽ、と出てくるのがまた楽しい。結構たくさんメモしたが、特にこちらが好きだ。

 「心がどのような言語で語られるどのような文によって育てられるかは個々の人の自伝に属することだが、その心の自伝は別にいずれかの国語、いずれかの文学に忠誠を誓う必要はまったくない。文字という徴が描き出す文という紋様の非人間的な自由さは、そんな境界をまったく意に介さず、誰にとっても接近可能なものとして、そこに与えられている。」(p.241)

 

6.エルベール編 蒲 穆訳『ガーンディー聖書』岩波書店岩波文庫

ndlsearch.ndl.go.jp

 ガ(ー)ンディーの著作は3冊ぐらい手元にあるのだが、恥ずかしながらきちんと読み通したものがなかった。そこで、とりあえずいちばんページ数の少ない本書を手に取った。

 そしたら。翻訳が古く、漢字がすべて旧字体だった。一応明治〜大正期の文学を読んでいた時期があるので一通り読めはするのだが、流石に現代の字体のようにすらすら進むことはできない。結局じっくりと時間をかけて読む羽目になった。

 しかし、それが却ってよかったかもしれない。本書はガンディーの教えが書簡になったものをまとめたものなのだが、「眞理「博愛」「純潔」など、各テーマに沿って説かれる内容は(敢えてこういう言い方をすると)非常にシンプルである。「私慾抑制」のところなんて、こんなことが書いてある。

「肉體に必要なる分量以上に食べてはならない。(中略)食物に關しても亦同樣である。味が良いからとて、なんでも食べるのはこの法則に反する。好むからとて過度に食べるのも同樣である。食物に鹽を加えてその量を增加し、或いは風味を變え、或いは味を附けることも亦法則に反する」(p.31)

 要するに食いすぎるな、あと塩分は取りすぎるなと。ダイエットの基本である。しかし、こうした文章も丁寧に目をとめながら読んでいくと、他のさまざまな項目との関連や論理的な一貫性が見えてくる(気がする)。

 ガンディー自身は偉大な宗教家であり哲学者であっただろうが、もとより民衆の側に立って活動した人である。そうした背景も大きいであろう彼の、理解はしやすいのにハイレベルな文章を書く技術は、並の生活をしていてたどり着ける境地ではないと思う。

 

7.崔仁勲 吉川凪訳『広場』CUON

k-book.org

 崔仁勲(Choi In-hun、リエゾンが起こって「チェ・イヌン」と発音する)は1934年に咸鏡北道に生まれた作家。今でいうと北朝鮮に当たるエリアの生まれである。朝鮮戦争以降は韓国を拠点として、文学や演劇の世界で活躍して2018年まで生きた。この『広場』は韓国で最も多く高校教科書に採用された作品でもあるそうで(「訳者解説」p.257)、国民的作家と言って差し支えない人物と言えそうである。

 だとすると、結構読解が難しい作品が教科書に採用されているなあと思う。主人公の李明俊は朝鮮戦争の後、停戦時にいた南に留まることも北に帰ることも選ばず、外国で新しい生活を送ることを選ぶ。その船上での回想が本作のスタートとなる。主人公はマルクス主義に共感して革命を志しながらも、北の現状を「灰色の共和国(p.146)」と感じ、自分が精神的支柱としてきた思想と現実の乖離に苦悩する。そこに、恋人の女性や父との関係もストーリーに絡んでいき、物語は複線で進んでいく。

 私が「読解が難しい」と思うのはまず第一に、朝鮮半島の歴史や、南北におけるイデオロギーの交錯を身体化された学びとしてはもっていないことがあると思うが、その上でこの作品を読んでみても、時系列や場所の情報がシームレスに移動したり、肝心な部分がぼかして描かれたりしており、読者を安易な批評あるいはシンパサイズのフィールドに引き込ませない意志を感じた(とはいえ、戦後しばらくは韓国も独裁政権で検閲が厳しく、ストレートに政府を批判するような内容を書けなかったことが理由としてあるようである。チョ・セヒ『こびとが打ち上げた小さなボール』でも似たようなことを読んだ)。

 だが、そんな難解な文体の中に時々現れる鋭くストレートな表現に、ぐっと胸を掴まれるのもたしかだ。

 「公文書による革命の上にあぐらをかく役人になって、自分の頭で考えようとする人たちに目をむき、真理を解釈する権利を独占しようとする人たちがのさばる社会。こんな社会で革命の興奮を装うのは偽善者だ」(pp.185-186)

 「『死ぬ前に、せっせと会いましょうね』(中略)恩恵は、せっせと会おうという約束を、永遠に守れなかった。戦死したのだ」(p.209)

 読む人が読めば、芯がどこにあるのかわからず掴みどころのない作品と思われるのかもしれない。しかし、その掴みどころのなさそれ自体が、この物語の根幹というか、南北の分断と主義・思想の迷走の中で生きようとした1人の人間を描く姿勢として、とても真摯だと感じる。

 

8.尹雄大『聞くこと、話すこと。−人が本当のことを口にするとき−』大和書房

www.daiwashobo.co.jp

 仕事柄、人の話を聞く側に徹することが多い。結論ありきの話もあれば自由に展開していく話もあり、それは取材やインタビューの目的や媒体によっていろいろだが、それだけ「聞く」ということをしていながら、「自分が話すこと」に関してはついぞ考える機会がなかった。そんな思いもあって手に取ってみた本である。

 情報の伝達を目的としたコミュニケーションや、ノウハウに基づく「上手な聞き方/話し方」といった、現代で価値あるものとされる聞き語りの価値観をいったん括弧に入れ、「あなたと私の間にある言葉」をそのまま見つめるということについて考えていく、と言ったらよいだろうか。

 濱口竜介、上間陽子、坂口恭平、イヴ・ジネストの各氏との対話による章と、最後に尹氏自身が実践しているインタビューセッションという試みに関する章の全5章。個人的には上間教授の章とイヴ・ジネスト氏の章により深く魅入られた。

 上間教授の『海をあげる』は私自身にとっても大切な1冊で、そんな同教授の「語りについての語り」を読めたことはとてもよかった。「本当にのたうち回るような経験というのをした人は自分の体験をもたらす言葉を持たない(p.94)」という言葉が脳裡に刻まれている(筆者も述べているように、「経験」と「体験」がわけて書かれていることが重要である)。なぜ、壮絶な虐待を受けた沖縄の少女や、従軍慰安婦として戦場に赴いた人々の語りがときに途切れ、一貫性を欠くことがあるのか。そうした現実にも関係してくる一文である。

 イヴ・ジネスト氏の「ユマニチュード」は、少し前に認知症について調べたことがあり、その際に知った理論である。ユマニチュードは「絆の哲学」すなわち「ポジティブな依存の哲学」であると同氏は語る(p.140)。とかくネガティヴな文脈で使われがちな「依存」という言葉の意外な登場のしかたに驚きつつ、彼の考えるケアのこと、また他者に近づくということの意味について知る。

 最終章・「私とあなたの間にある言葉」。この章では、他者の話を聞くという取り組みから、「最も身近な他者」であるところの自分に対する言葉のかけ方というところにまで話がを及ぶ。正直、今の自分にはまだ理解しきれていない部分もある章なので、今後また本書を開いたときの宿題としたい。「おわりに」にも、「答えは何ひとつ書いていないけれど、問うための手立てはたくさん綴ったつもりだ(p.260)」とある。

 

9.宮島未奈『成瀬は信じた道をいく』新潮社

www.shinchosha.co.jp

 『成瀬は天下を取りにいく』の続編。成瀬シリーズ好きだなあ。「そうはならんやろ」と「ワンチャンあるかも」の間をすり抜けていくストーリーと嫌味のない文体。単なる善人もいなければ100%の悪人もいないが、変な人は結構いる、そんなリアルな人間描写もいい。

 これは中身をあれこれ書くとネタバレになりそうなのでこのへんに。

2024年10月 Records & Lives

 10月。結構予定外の予定(異常日本語)が入ったりして、もともと行きたかったライヴに行けなかったりと残念なこともあったが、一方ですごくツボな新譜に出会えたりもして総合的には楽しかった。あと、最近あまりレコードを買っていなかったのだが今月はいろいろ含めて3枚ぐらい買った。改めて思うにレコードは本当に沼である。セーブしながら買わねば。

 

●Records

For Cryin’ Out Loud! – FINNEAS

 FINNEAS(Finneas O’Connell)といえば、妹のBillie Eilishのステージでベースを弾いている印象が強かった(単にライヴサポートをしているだけでなくプロデュースとか、いろいろ深く関わっているのだけど)。ソロ作をきちんと聴くのは、これまで本作がはじめて。

 #1「Starfucker」からもう好きだった。ピアノ×美メロにはどうも弱い。あと、2Aでブレイクが入るのにも弱い。なお、Starfuckerという物騒な単語もこの曲で始めて知った。セレブリティと深い関係になりたがるファン、言うたらリアコ勢のことを指す言葉らしい(実際に「そういう」関係になれているかどうかは問わないっぽい)が、それを踏まえると「You think you're so underground / But you're so much less profound」というリリックのパンチの効き方がすごい。甘いメロに対して激辛である。そこから#3「Cleats」までの流れで一気にこのアルバムの虜になった。

 タイトル曲である#8「For Cryin’ Out Loud!」とラスト曲・#10「Lotus Eater」もそれぞれリピート曲。「For Cryin’ Out Loud!」はミッドテンポのバラード曲で、ホーンの使い方になぜかわからないが懐かしさのようなものを感じた。#10「Lotus Eater」もまた意味深な表題だ。途中のリリックが禅問答のようになっているのと関係はあるのか、どうか。

 

Feats of Engineering – fantasy of a broken heart

 ディスク・ユニオンの紹介文には「ザ・フレーミング・リップス鋼の錬金術師に影響を受けたデュオ」と書いてある。鋼の錬金術師って、あの鋼の錬金術師か? と思って軽く調べてみたが、どうやらあの鋼の錬金術師らしい。アニメ・漫画のワールドに影響されているようだ。

 アメリカのポップ・デュオで、音楽的にはプログレ〜サイケの要素を取り入れつつ、それらを近年のドリーム・ポップの音像に昇華した感じとでも言ったらいいだろうか。ともかく、個人的にはすごく好きなジャンルである。基本的にはバンドサウンドを中心にしつつ、ときにオルガンや打ち込みのストリングスがそこに花を沿える。

 イントロの#「Fresh」から#2「AFV」になだれ込む。ギャンギャン鳴るギターとうねるようなベース。そこに乗るオクターヴニゾンのヴォーカル。良い。キャッチーなポップソングかと思っていると最後の1分間でガラッとリスナーを惑わせてくる。続く#3「Loss」の切実さも好き。#6「Ur Heart Stops」はエフェクトのかかったリードギターがドリーミーな雰囲気を醸しつつ、途中で挟まれる畳みかけるようなリズムパートや呟くような歌い方がおもしろい。

 日本でも間違いなく好きな人は多いだろうし、フジとか来てほしいなあ。

 

Fabinana Palladino – Fabinana Palladino

 UKで活躍するSSW、Fabiana Palladinoのファーストアルバム。ファミリーネームから察するとおり、父はあの名ベーシストPino Palladinoである。本作にも参加しているそう。

 バンドサウンドとエレクトロニックなサウンドが交錯する印象で、音楽的にはR&Bを起点に広いところからエッセンスを取り入れているように思う。踊れる歌もの、という軸はしっかりあるようだ。

 UKシーンの敏腕プロデューサーであるJai Paulとの共作曲#5「I Care」がアルバムの中間地点になっているのだが、ここに至るまでの前半がややシリアスモード、ここからの後半が(曲の雰囲気だけ聴くと)ポジティヴなモードになっている感があって興味深い。例えば#3「I Can’t Dream Anymore」なんかはミッドテンポで曲調も、切々と歌い上げる系。「When I go to sleep, I’m tired/But I can’t dream anymore」と歌詞も結構キている感じだ。しかし、キーボードのオブリが全編を通して煌めく#6「Stay With Me Through the Night」〜ギターのブリッジミュートから走り出す#7「Shoulda」の流れはなにか夜明けのようなイメージすら湧く。まあ、と言いつつ#8「Deeper」で大人な雰囲気になるけれど。

 ファーストアルバムがセルフタイトルってなかなか勇気が入りそうだけれど、それもしっくりくる完成度の高さだった。

 

SANGO ALBUM – リ・ファンデ

 リ・ファンデ(李晃大)さんのアルバムを聴くのは、寡聞にして本作がはじめて。砂の壁のマオさんが#1「原色」、#12「それより影」にコーラスで参加されているということで、その投稿を見て知ったようなところがある。

 一言でこのジャンル、と言い切るのが難しいが、一聴してその引力にグッと惹き込まれる音像。ダンス/エレクトロニックの雰囲気を醸すビートに、ある種のラフさを残したヴォーカルとギターが飛び乗っていく。打ち込みのひんやりした動力とアコースティックなトラックの手触りが絶妙なバランスのうえで手を取り合って作り出す空気感が癖になる。

 もちろん一曲一曲の楽曲もそれぞれに魅力を湛えている。前述の#1「原色」はサビのたたみかけが心地よくて何度も聴いてしまうし、#5「マンボーの恋人」はアコギが刻むコードとパーカッションのポコポコいう四分刻みがきもち良い。「ヌヌヌヌ〜」というラストのコーラスもコミカル。そしてミツメファンとしては、#8「靴の間に(feat. 川辺素)」がアツかった。ミツメは活休してしまったが、こうして川辺さんの声が聴けるのはシンプルに嬉しい。

 リ・ファンデさん、次はライヴに行ってみたい。

 

The New Sound – Geordie Greep

 事実上解散となってしまったblack midi(日本で2回観ておいてよかった)。そのフロントマンであったGeordie Greepのファーストアルバムがでた。

 まずジャケットのインパクトがすごいですね。具体的なモチーフはわからないけれど、日本的なモチーフがグロテスクながらもどこかコミカルに散りばめられている。前はHellfireのツアーとフジで2年連続で来日してるし、本作のリリースに合わせても来るし、一時期ヤマハのギターも使ってたし、日本にはなにか特別な思い入れでもあるのだろうか(大友良英を聴いてるみたいなのはいつかインタビューで読んだ記憶があるけれど)。

 先行トラックだった#3「Holy, Holy」はサザンとか言われていたなあ。大ハマりしてリピートしましたが。確かに日本的な歌謡ポップっぽさはメロにあるかも。えげつないタイミングで入れてくるキメとか、いかつめのギターソロなんかはblack midiでも展開されていたポストロック要素がふんだんに感じられたけれど。

 全体的にはむしろボサノバとかサンバ、タンゴとか、ラテンアメリカの風を感じるタイミングが多かった(#4「The New Sound」や#5「Walk Up」らへんのタタッ、タタッ、というリズムは明らかにその辺を意識していそう)。#7「Bongo Season」という曲があるが、パーカッションも全体にわたって効果的に使われている。ブラジルの音楽が好きな人間としてはテンションが上がった。

 あと、個人的には#8「Motorbike」の疾走感と不穏さの同居のしかたがすごく好き。

 

Sad Girl – TSHA

 英国のミュージシャン、TSHA。ちょっと前まで読み方もきちんと把握していなかった(ティーシャ、と読む)うえ、昨年のフジにきていたことも失念していた。土曜深夜のRED MARQUEEでの出演だったということで、恐らく私は寝ていたに違いない。惜しいことをした。

 本人はベースを中心にシンセ、DJを使いこなすマルチ・インストゥルメンタリストで、実際ライヴ写真を見てみたらベースを携えていた。ダンス系のトラックをつくる人はベースかドラム、どちらかの経験者が多い印象だ(ギターは結構珍しいんじゃないだろうか)。クレジットを歌ものは大体フィーチャリングでヴォーカリストを呼んでいるのかと思ったが、今回初めて本人もヴォーカルを録っているそう。多くのミュージシャンを迎えていながらアルバム全体の色には一貫したものがある。

 Rose Grayを迎えた#2「Girls」、歌詞も含めて好き。「Love like you've never been hurt this time/And girls/Live like you never die」。Master Peaceとの#4「Can’t Dance」はタイトルに反して全然踊れる。Caroline Byrne(まさか? と思ったがDavid Byrneとの血縁関係はなさそう)との#6「Sweet Devotion」、淡々としたビートに不穏なコードが忍び込んでくる。こういうタイプの曲、じつはかなーりツボである。

 

Songs About You Specifically – MICHELLE

 ニューヨークの6人組。「ソウル・コレクティヴ」とか「インディーポップユニット」といった漠然とした書き方をしている媒体・メディアが多く、「バンド」とは書かれていないのが少し興味深い。

 #1「Mentos and Coke」を聴いてみて早々に、結構不思議な曲だなあと思うなど。ソウル、と言われればそんな気もするし、Big Thiefのようなフォーキーなポストロックの路線に通じる部分もある。と思っていたら、曲中で急にテンポが変わり、ベースが急に饒舌なラインを奏で出す。そのままシームレスに#2「Blissing」へ。ここからだんだんとソウル、ファンクのカラーが強くなっていくようだ。#3「Akira」。アキラとは誰だろう。内容はセックスと人間関係にまつわるしっとりとしたもので、大友克洋先生の「AKIRA」とは一見関係なさそうだけれど。

 #9「Oontz」も再生回数が多いようだが、これなんかは王道のチル目R&Bという感じで、ちょっとしたノスタルジアすら感じる(この曲を聴きながら勝手にMarvin Gayeの「Sexual Healing」を思い出したのだが、こちらのほうがさすがにしっとりしていた)。

 すごい衝撃を受けるというのではないけれど、聴きやすくていいアルバムだと思った。

 

Songbook – Gilbert O’sullivan

 アイルランド生まれ、イングランド育ちのSSW・Gilbert O’sullivan。超大御所だし、代表曲と言われる何曲かは知っている。で、本作は再録ベストとでもいうべき内容になっている。

 アコースティックなサウンドで、奇を衒わず、親しみ深いメロディを持ってきてくれるので安心する。#2「Clair」、#6「Alone Again(Naturally)」あたりは流石に改めて聴くに名曲だが、再録によって単に「深みが出た」という次元にとどまらず、70歳代後半にして新たな爽やかさのようなものすら感じられるのが凄い(録音技術が現在のそれになっているからモダンにきこえる、というのは大いにあるだろうけれど)。文字どおり鍵盤を叩くようなリズミカルなピアノも健在で楽しい。

 最近はインディーポップやエレクトロニカを聴くことが割合としては多かったので、こういうアコギとピアノをフィーチャーした音をじっくり聴いていなかったのだが、そういえば最初に好きになったポップスのサウンドはこういうのだったな、とふと思い出した。一つ一つの楽器の音がよく聴こえるから、全員上手くないとカッコよくならないジャンルだし。そのシビアさとゆるさの間隔が好きである。

 

Chemistry Foreverever – DJ Swagger

 ドイツ・ビーレフェルトのDJ/プロデューサーのエレクトロニカアルバム。8曲26分というコンパクトさだが、聴き応えがある。ビーレフェルトという街の名前を寡聞にして知らずだったが、デュッセルドルフを州都に据えるノルトライン・ヴェストファーレン州の経済都市で、調べてみるとクラブが結構あるらしい。独自のクラブカルチャーが育っていたりするのだろうか。

 アルバムは個人的に好みな曲調のトラックが多く、シンプルに聴いていて楽しかった。#1「Best Friends」はヴォーカルバラッドのような入りからジャズ風の鍵盤のループに移行し、ドリーミーな雰囲気を保ったまま歌モノに回帰する展開がシームレスで心地良い。個人的に一番好きだったのはアコギとエレキベースをフィーチャーした#3「Space Cowboy」。アルバム中でも特にキャッチーなナンバーだと思うが、途中で完全にエレクトロ要素が抜けてスイング・ジャズになる瞬間があってそれも面白い。#7「Days Before」のようなピアノ、これには何か名前がついているのだろうか。ソフトな音の立ち上がりで、ゆらゆら揺れる感じのサスティーン。

 全体的にメロウで、明るいか暗いかでいえば暗いアルバムなのだろうけれど、かなり好きだった。

 

 

●Live

10/12 Cross Cultural Night(OTB from Korea Japan Tour)@下北沢mona records

 夜のモナレコは久しぶり(最近は昼によくきていた気がする)。韓国のバンドOTBのジャパンツアーで、対バンがよく知っているバンドだったし来てみた。

 Seukolは直近も観たけれど、ハコやセトリが違うことで色々な表情が見えてくるバンドなので何度観てもよい。曲名を忘れてしまったのだが(「夜の端で」かと思っていたが改めて聴いたら違った)、アレンジがメロウな雰囲気に変わっていていい感じになっている曲があった。

 Sick Sickmanはじつは知っている人が参加しているバンドで、兼ねてから観たいと思っていた。R&Bベースのシティポップという感じですごくクール。モナレコももちろん良かったけれど、よりクラブっぽいハコも合いそう。

 Abenieは初見だった。すごくポップでメロが良いというのと、シンプルに各メンバーのプレイスキルがめちゃめちゃ高い。ギターうっめ〜と思った後にベードラのコンビネーションがガッチリ決まり、キーボ&ヴォーカルのコードとメロの絡みも絶妙で、目が離せない。

 OTBもすごいバンドだった。彼らもすごくテクいというか、歌・ビートボックス・ギターというそれぞれの領域で確固たる技量を備えている。のだけど、ライヴはライヴでエンタメとして高い水準で完成されている。日本語曲のカヴァーも交えつつ、しかしやはりオリジナル曲の良さが滲みる。各人のスキルが最もよいかたちで化学反応するんだろう。ビートボックスとギターのソロコーナーも圧巻だった。ビートボックスの方は韓国のコンテストで優勝経験があるらしい。

 

10/13 AHN YEEUN FIRST CON 花 in Japan @SUPERNOVA KAWASAKI

 じつはまったくノーマークだったのだが、大学時代の先輩からお誘いをいただいて行った。日ごろ韓国のアーティストや作家の作品を載せてヤーヤー言っているのを見てくださっていたのだと思う。ありがたいお話である。

 キーボード弾き語りor自作トラックの打ち込みをバックに歌うスタイルの方だったが、まず声のハリと通り方がすごい。ふと、小学校の音楽鑑賞の時間に聴いた「アリラン」を思い出した。喉をギャッと締めて、しかし身体の芯から厚みを持たせて声を響かせるあの感じ。日本のアーティストで言うと初期の椎名林檎倉橋ヨエコの雰囲気に近い(し、実際にカヴァーで林檎さんやヨエコさんの曲を歌っておられた)。一聴して癖になる歌声である。

 オリジナル曲は個人的な体験のほか、神話や御伽話にインスパイアされているようなものもあり、テーマも音楽性も幅広かった。良いアーティストに出会えた。

 

10/16 WWW & w.a.u presents n.e.m vol.2@渋谷WWW

 以前より漠然と気になっていたコレクティブ・w.a.u。生活の設計のサポートで一緒に演ることがあるgaiくんが所属しているレーベルというのもあり、さらにわりと近いコミュニティにいた人がちょいちょい関係しているっぽいのをなんとなく把握していた。WWWでイベントをやるというのでわりとライトなノリで行ってみた。

 ら、すごい人だった。ダブダブがみっちり。そして、おそらく平均して2〜3歳ぐらい自分よりも若い人が圧倒的に多い。20歳代そこそこでここまで人を集められるw.a.uという組織の力にまず驚く。

 主な目当てはバンドだったので、基本的にはメインフロアに居てさらさ、TRIPPY HOUSING、reinaの三組を観た。この日は「w.a.u BAND Set」という固定バンドが三組をそれぞれ支える、というあまり観たことがないスタイルで面白かった。

 さらささんは、以前観た際は別なバンドセットだった。そのときは本人もギターを持って歌うなどフィジカルなバンド感が強かったが、今回のw.a.uセットはよりソリッドな雰囲気。こちらにはこちらの良さがあった。w.a.uの立ち上げに関わった後、現在はレーベル自体からは離れているものの、こういう機会に一緒に演奏すること自体は今後も含めてあるとのことだった。

 TRIPPY HOUSINGは初見だが、これまた面白い音楽だった。TRIPPYというだけあってサイケな空気感を出しつつ、アフリカルーツの音楽のエッセンスもしっかり感じる。楽器の使い方も王道と斬新の絶妙なバランスを行っているような感じがする。

 reinaさんは、じつは昔どこかで観たことがあった、はず。そのときはreinaさんと知らずに観ていたので実質初だったが、端的に歌唱力エグいな……という感想が出る。R&Bに合う声質ってなかなか出せる人が多くないと思うのだが、reinaさんは英詞の発音やリズムも含めてピタッとハマっている。

 そして長丁場のセットで、各アーティストのジャンルに合わせたトラックを変幻自在に展開していたw.a.u BAND、すごい。ただ「上手い」だけではなくて、日頃からたくさんの音楽に触れていないとできない所業だろう。

 

 

◆買ったレコード

@BIG LIVE RECORDS

Here in the Pitch - Jessica Pratt

Underdressed at the Symphony - Faye Webster

 

@COCONUTS DISC 江古田

Garota de Ipanema - Nara Leão

セクシュアリティについて(reprise)

 ふと、あ、と思い出してとある文章を読み返してみた。これである。

tetsuoji.hatenablog.com

 

 端的にいうと今の私はアセクシュアルですよ、アロマンティックですよというのと、それについて諸々思っていることをまとめた文章である。自分で言うのもなんだけれど、なかなか魂のこもった、まじめな文章だと思う。

 

 そもそもなんで思い出したのかというと、Aceweekというのを今年もやるよ、というのをTwitterもといXで見かけたからだった。いわゆる啓発週間というやつで、この週は特にアセクシュアルについて色々考えたり発信したり(できる人は)していこう、という取り組みである。考えてみれば、上の記事も昨年のAceweekに合わせるかたちで書いたのだった。

 わりあい直近に書いたものだと勝手に思っていたけれど、これを公開してから何気に1年が経つわけで、まあまあ驚いている。

 

 上の記事には思ったよりもかなり多くのリアクションがあった。まあ中にはえーとそういうことを言ってんじゃないんだよな、というものもあったけれど、ほとんどは温かく、私を前向きにさせてくれる内容で、大変ほっとしたのを憶えている。

 

 ここ1年の間のことを振り返ってみると、アセクシュアル/アロマンティック(以下Ace/Aro)に関するZINEや小説が登場したり、アニメのキャラでAce/Aroが公式設定になっているのが出てきたりと、じわじわとではあるがAce/Aroという存在が世間に浸透してきているのかな、という希望めいた感覚がある。

 一方でいまだに恋愛(特に異性愛)至上主義的な言説や、性愛を前提としたパートナーシップに関する情報提供が我が元に舞い込んできたりするとうーんまだまだやなあ、という気持ちにはなる。それとは別に、Ace/Aroはその特質上あまり矢面に立たされることが少ない印象だけれど、性的少数者があからさまな差別の対象とされる言説、これはもうずーっと続いている。これには断固として拒否・抗議すると明言しておく。少数の属性をもつ人々に対する根拠なき偏見に基づく差別はまったくもって間違いであって、重大な権利侵害であると。

 

 ごく最近参加した読書会で、わかること/わかりあえないこと、というのが話の中心にあがった。「どうしてもわかりあえないであろう人にわかってもらうためにはどうしたらいいか」「わかってもらうためにこちらが払う痛みのことはどう割り切ればよいのか」など。

 そして、「世界を変えるには」というのも話にあがった。自分の環境のなかで変化を望むポイントにどうアクセスしていくか。

 会の最中、話を聞いているあいだは呑気にも「この人はちゃんと世界に向き合って考えを深めているな……」などと考えていたのだが、帰路でふと「あ、これかもしれん」と思った。これというのは要するに、読書会であがった問いが、私にとっては自身のセクシュアリティと密接に関係するものなんじゃないかということである(もちろんそれ「だけ」ではないですけど)。

 

 『転がる岩、君に朝が降る』の「出来れば世界を僕は塗り替えたい」じゃないけれど、少なくとも一般的に「正しい」とされている世界の輪郭に一発蹴りを入れることぐらいはできるんじゃないかと思った。

 まずは女と男は2人セットでいるのが普通であってそれ以外は異常だ、という「正しさ」がなくなってほしいし、そのうえで(これはAce/Aroであろうとあるまいと関係なく)シングルでいることを選択する人への理解も深まってほしい。このように希求することを世界への干渉と言ってよいのなら、今後も私はそういったかたちで干渉を続けるし、それがなんらかの形で成果になったならばそれを喜びたいと思う。「わからない/わかりあえない」にも敢えて向かい合いたいと思う。

 

 という、さしあたり1年区切りの現在地確認でした。