2024年12月 Books

 12月、たぶん先月より忙しかったと思うんだけどなんでか先月より多く読むことができた。マインドの問題か。昨日、「ブログはこれで最後」と言いましたが厳密にはこちらが最後です。こちらも読んでいただいた方、ありがとうございました。

 

1.品品『品品喫茶譚 III』品品堂

setapon.theshop.jp

 冬の文フリ東京で買った本、その1。大森でお会いし、下北沢でライヴを観たフォークシンガーの方(ライヴの話は先月のブログに書いた)。今回の文フリで新刊を出されるとのことだったのでブースにお邪魔した。

 品品さんが今までに行った、あるいは今も行っている喫茶店でのあれこれを各章(各店)4ページ程度でまとめたエッセイ集。それだけなのに、or should I say、それだけだからこそ、とてもいい。自分が行ったことのある喫茶店が出てくれば尚ワクワクする。

 あくまで喫茶店それ自体が目的なのではなくて、生活のなかに自然と喫茶店というものが出てくるのが良いんだと思う。彼が歌い、書き、読み、そこに当たり前のものとして珈琲もいる。

 本の特性上、あまり内容について細々したことを書くのは野暮でもあろうし、この辺にしておく。気になる人はぜひ買って読んでみてほしい。

 

2.飯村大樹『失われた「実家」を求めて』

note.com

 冬の文フリで買った本、その2。飯村さんは『サッド・バケーション』を拝読して以来、各SNSをフォローさせていただいていた方で、同郷ということもあり(一方的に)是非お話ししたい気持ちがった。今回それが叶ったうえ、私のバンド活動のことも知ってくださっていて嬉しかった。

 タイトルのとおり、ご本人にとっての「実家」について再考するために制作された本で、妹さんとご両親へのインタビューからなっている(お三方とも別々のインタビューであり、三部構成)。

 これまた本の特性上、(引用などして長々と語るよりは)気になる方には是非買って読んでいただきたい。「実家」や「家族」に対して複雑な思いを持っている人が読むことにはもちろん意味があると思うし、逆に家族と仲がいい、あるいは「家族たるもの仲良くてナンボじゃ」と思っている人が読んでもきっと何らかの気づきを得ることができると思う。

 

3井筒俊彦イスラーム生誕』中央公論新社(中公文庫)

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 日本のイスラーム学の巨匠・井筒俊彦による、イスラームの黎明からアラブの地で一定の立ち位置を得るまでの歴史を解説した1冊。イスラームの開祖ムハンマドの軌跡を追った第一部「ムハンマド伝」と、イスラーム以前(無道時代:ジャーヒリーヤ時代)の精神とイスラームの精神がどのようにクロスしていったか、コーランの引用を交えて検討する第二部「イスラームとは何か」の二部構成になっている。第一部と第二部の執筆時期には約30年ほどの隔たりがあるというから驚きである。

 決して簡単な内容ではなくむしろ専門知識を多く用いているはずなのだが、文章が理路整然、かつ緩急があって情感豊かに書かれているためか、読み物として非常に面白く、ぐんぐん読み進めてしまった。テーマはタイトルにもあるように「イスラーム生誕」なので、イスラームの戒律などの内容そのもの(なぜ酒を飲んではいけないかとか)や、ムハンマド以降の伝播の過程などは別の本に解説を譲っているようだが、本書に載っている内容を知るだけでもかなりイスラームという宗教に対する視界の曇りが開けると思った。個人的には。

 特にムハンマドが登場した当時のベドウィンイスラーム以前のアラブの民)の人生観の話だったり、既に「アブラハムの宗教」として存在していてキリスト教ユダヤ教との関係についてはとても興味深く読んだ。アラブ地域が茫漠たる砂漠であることなんかもイスラームの生誕としっかり関係しているようだ。

 同じ著者による『イスラーム文化』(岩波文庫)もイスラーム入門の名著らしいので、近く読んでみようと思う。

 

4キム・ソヨン 姜信子監訳 奥歯翻訳委員会訳『奥歯を噛みしめる 詩がうまれるとき』かたばみ書店

katabamishobo.com

 韓国の詩人によるエッセイ集。日本語訳が出ている詩集として『数学者の朝』(CUON)があり、昨年の11月に読んでいた。多用を言い訳に感想を書き留めていなかったことが悔やまれるが、心惹かれたページやフレーズのメモは残っていた。

 宇宙のどこか

 人が生きられぬ星で詩を書く者もいるだろう

 家畜を屠殺して肉を焼いて暮らすように 泰然と(『数学者の朝』p.47、「旅人」)

 エッセイのテーマは多岐にわたる。家族(特に母親)のこと、食のこと、あるいは場所や歴史のこと。韓国文学はたとえば小説であっても「母親と娘」の複雑な関係を描いたものだったり、記憶と味覚の結びつきを描いたものが多いイメージがある。歴史的・文化的に題材となるテーマが共通することが多いのかもしれないが、各作家の筆致は当然ながら異なるので既視性と新鮮性がしばしば同時に頭に飛び込んでくる。

 やはりというか、詩について、或いは「詩人」について語っている章が興味深かった。

わたしは詩人が嫌いだ。詩人が書いた詩も嫌いだ。ずっと前からそうだったし、これからはもっと嫌いになりそうだ。だけど、少し離れたところで、むこうを向いて、自身が待ち侘びていた言葉を詩に書き留めている人がいるという事実は、そんな人がこの地球上に思ったよりも多いという事実は、嫌いになれない(「わたしが詩人なら」p.163)

 この文章が単なる逆張りや言葉のアヤとはどうしても思えず、きっと本心なんだと思う。でも、おそらく「詩を書くことで自分の言葉を形づくること」、ひいては「詩を書くことで自分の言葉を形づくる人々がいるということ」は根本的に信じているのではないか。そんなことを思いながら冒頭の「旅人」の一節のことも思い出した。

 

5上林暁 山本善行撰『上林暁 傑作小説集 星を撒いた街』夏葉社

natsuhasha.com

 過去の読書記録を遡ってみると、上林暁は昨年の8月に同じ夏葉社刊行の『孤独先生』を読んだのが初読だった。それに惹かれて、比較的時間を措かずにこの本を買ったと思うのだが、結局長く積んでしまった。読書あるあるである。

 やはりというべきか、『孤独先生』を読んだときと同じ種類の感動があった。いわゆる私小説というジャンルで、自身や周囲の人々をそのまま登場人物としながらひとつの物語を成立させている。劇的な事件があるわけでもない生活を、じっと魅入るに値する光景に昇華するその筆力がまず素晴らしい。当たり前だけれど、ただ生活を文字に書き写すだけではこうはならないと思う。

 開花を楽しみにしていた庭の月見草を植木屋の手違いで刈り取られてしまうも、叱るに叱れず悶々と過ごすところから始まる「花の精」(もう冒頭から主人公=上林暁の人の良さが伺える)。物語の後半では、多摩の是政に月見草を取りに行くのだが、その情景描写が恐ろしく美しい。特にp.38、ガソリン・カア(気動車のことだろう)に乗って月見草の畑を通過していくシーン。

 もうひとつ選ぶとしたら、「諷詠詩人」か。病身の妻との思い出を描いた「病める魂」とも迷った。どちらも「悼み」をテーマにしている点は共通している。「諷詠詩人」はタイトル通り、風来坊然とした同時代詩人の高台鏡一郎を偲ぶ内容。友人・知人らが語る高台氏のエピソードはどれもなんとなく間が抜けていて(その最期すらも)、しかしそれが尚更に本作をほろ苦い読み味にさせているようだ。ユーモアとペーソスのやさしい同居が味わえる。

 

6.イーユン・リー 篠森ゆりこ訳『理由のない場所』河出書房新社河出文庫

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 『千年の祈り』のイーユン・リーによる、作家自身の体験を基盤とした小説。自死というかたちで永遠の16歳となった少年とその母の対話、という特殊な形式で16篇の物語が進んでいく。作中では「ニコライ」というロシア風の名前で呼ばれるその少年が、作家の実子であり、やはり16歳で自死しているヴィンセント・キーン・リーの写し鏡であることは作家自身のインタビューでも語られている。

 いわゆるところのmourning workに分類される作品なのだと思う。亡くなった子どもとの対話を「作品」として昇華することはまず第一に作家本人のケアとなるのだろう。そのうえで、究極にパーソナルなテーマのように見えてそこにある種の普遍性があればこそ、これほどまでに世界で読まれるものになるのだとも思う。

 作中の対話は決して穏やかなものばかりではなく、むしろニコライの挑発的な語り口が全体的にピリピリとした緊張感を与えてすらいる(訳者あとがきでも触れられているように、それらの語りは言うまでもなく「一から十まで彼女(=母)自身の言葉」なのだけれど)。さらに本作の場合、親と子の母語の違いなども作品の根底にあったりして、その辺りは予備知識なしではなかなか気づきにくい部分だと思う。

 率直にいって、『千年の祈り』とはかなり異なる読み応えを感じ、1度通読するのみで核心を掴むことは難しい本だった。ただ、ひとつ感じたことは、たとえばハン・ガンの『少年がくる』がそうであったように、「死者との対話を試みる」という文学的な試行においては小説という形式が強い必然性をもつということだ。

 

7江國香織『泳ぐのに、安全でも適切でもありません』集英社集英社文庫

www.shueisha.co.jp

 ふだん恋愛小説はあまり読まないのだけれど、江國香織さんのそれは文章のリズム感が好きで、こうして読むことがある。

 作家がアメリカで見かけた看板に着想を得て名付けられたこの短編集は、いずれも女性を主人公とした物語からなっている。そして登場人物の多くは、異性とただならぬ関係を持っている/いた人物である。

 私はアセクシュアル/アロマンティック男性なので、この物語で描かれる恋愛の胸の高鳴りや離別の苦しみに「同情」することはできても、心から「共感」することは難しい。現実の知人友人の「恋バナ」ですらよくわからないのに、いわんや、ではある。一方で(もし私が万のフォロワーをもつ有名人だったらワンチャン炎上していたかもしれないことを言うと)、不倫と名のつく関係性であることを承知のうえで、自らの求める愛を掴みにいこうとする人の気持ちは、なんとなく想像してみてしまう。まさに「安全でも適切でもない人生のなかで、愛にだけは躊躇わない──あるいは躊躇わなかった女たち」と裏表紙の文には書いてある。バレてしまえば確実に傷つく人がいる関係を美談にすることを是とは思わない(し、この小説集も美談では決してない)が、自分のような人間が「では、なぜ?」という疑問を抱いたとき、漠然とではあるが道を示してくれるような物語たちであるように思う。

 とはいえ、個人的にはSEXの雰囲気が薄めな「サマーブランケット」がいちばん好きな空気感だった。道子さんのような生活を送りたい、と素朴に思う。カフカ的な奇妙さのある「犬小屋」もなかなか強烈だった。

 

8.大村益夫 長璋吉、三枝壽勝編訳『朝鮮短編小説選(上)』岩波書店岩波文庫

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 1920年代〜1930年代前半に書かれた、朝鮮半島の作家の手による短編小説を収録したアンソロジー。時期的には大日本帝国の統治の時期と重なり、表紙のイントロダクションにも「朝鮮の近代文学は、日本の統治に反対して起こった三・一運動の年─1919年に始まる」と記されている。市井の書き手の辿ってきた道は、往々にして植民地支配の歴史と地続きである。

 この短編集においては金東仁「笞刑」が日本統治下の刑務所の状況を描き、日本語を話す軍人の姿を明示している(この話が一番最初に配置されているのも、時代背景を大前提として読者に共有するという意味があるのだと思われる)。そのほかの作品は大きな権力機構を直接的に書いてはおらず、農村を舞台とした人間模様を書いたものが多い。

 玄鎮健「運のよい日」、姜敬愛「地下村」では、文字どおり極貧といえる状況でどうにか日々の生活を送ろうとする人々の奮闘と、同時に貧困の煽りを全身に受ける子どもたちの痛みが克明に描かれている。「地下村」の主人公は障碍を抱えた人物でもあり、そのような少数者性をもった人が当時おかれていた状況の記録にもなっている。

 また、いくつかの物語では家庭がありながらも身体を元手にして稼ぎを得る女性が描かれている。読んでみるとそのことが夫の公認だったりもして、そもそもの価値観が現代と違うところはあったのだろうが、これも当時のかの地で「いかにして生き延びるか」を模索していった人々の生の記録なのだと思う(これを単に「たくましい」とか「したたかである」といった言葉で綺麗にまとめるのは間違いだろう)。

 この短編集には下巻があるので、来年の課題図書にしたい。

 

9.大崎清夏『暗闇に手をひらく』リトルモア

littlemore.co.jp

 大崎さんの詩集を初めて手にとった。エッセイと小説には先にふれていて、その文章の魅力にはしっかりと惹かれていた。

 twililightさんでの先行発売で購入したが、本発売は2025年1月とのこと。ネタバレ(という概念が詩においてもあるのかどうかわからないが)になってもあれなので詳細に触れるのは控えるが、とても好きな、今この時期に読むことができることに強い歓びを感じる詩集だった。

 装幀のデザインも素晴らしい(著者の名前と出版社の名前が同じ級数で、こんなにもいやらしくない装幀がほかにあるだろうか?)。

 

10キム・ソヨン 姜信子訳『数学者の朝』CUON

chekccori-bookhouse.com

 上記の『奥歯を噛みしめる 詩がうまれるとき』を読むにあたって手に取った流れで、『数学者の朝』も再読することにした。

 「同じ場所をふたたび訪ねてきたけれど/同じ時間をふたたび訪ねる方法がわからなかった(『おもちゃの世界』、p.26)」という一節に、本の再読も同じだろうかと思案する。昨年読んだときと、いま読んでいるこのとき、同じ詩から受け取る印象も異なっているし、心惹かれる一節も前回とは微妙に違っているのがおもしろい。

 改めて読んでみるに、風雨の音や動物の立てる音など、五感をわっと呼び起こされるような情景描写が秀逸だと感じる。並行して描かれる、人間の持ち得る、ある種普遍的な感傷の表現とのバランスが全体の「拍」のようなものを適切にコントロールしている感がある。

 もちろんそれだけではなくて、ふとした瞬間に登場する現実世界を写し取ったフレーズ─例えば「遠い国では 燃えあがったひとりの人間が/国じゅうを燃えあがらせたんだ(『広場の見える部屋』、p.132)」─などからは、詩人の目線が確実に世界のほうを向いていることが伝わる。前回読んだときから時間が経ち、「内省的な内容が多い詩集だったかな」という勝手な脳内イメージが作り上げられていたので、そういう意味でも再読してよかった。

 こちらが年内最後の読了となりました。

 

11.赤澤玉奈主宰『観察』パブリック・ブレイン

 冬の文フリで買った本、その3。今年の春の文フリでご挨拶させていただいた詩人・ひさ乃さんが制作されているZINE『波と緯度』の共著者(という言い方が正しいのかどうか)、広橋山羊さんが参加されているという情報を得て、買ってみた。

 6名の詩人が集まって「通勤・通学ルート、もしくは散歩道を詩にしてください」というテーマに沿った課題詩と、あとひとつ自由詩、合計2篇を書いている。そして、合評会というかたちでゲスト詩人・川口晴美さんの講評+参加詩人のディスカッションのシーンが読める。

 面白かった。現代詩はときどき読んできたものの、やはり専門的に勉強したわけではないので批評的なところではわかっていないことがとても多い。そんな私でも、元の詩と合評会を合わせて読んでみると「あ、プロの詩人ってこんなところに注目して読んでるんだ」とか「確かにここをこう変えたら雰囲気変わるかも」的なことがスッと入ってきた。載っている詩そのものも素晴らしいのだけど、「詩の読み方」という点で勉強になることが多かった。

 

12.サラ・ロイ 岡真理、小田切拓、早尾貴紀訳『ホロコーストからガザへ パレスチナの政治経済学』青土社

www.seidosha.co.jp

 サラ・ロイ氏はアメリカの政治経済学の研究者だが、ポーランドナチスユダヤ人絶滅政策を生き延びた両親をもつ、いわゆる「ホロコーストサヴァイヴァー」2世である。叔母は大戦後イスラエルに移住している。そうしたユダヤ的ルーツをもつ研究者による、パレスチナ(特にイスラエルによる対ガザ政策)研究の書。

 内容は2つのパートに分かれており、前半ではパレスチナの状況を経済学の視点から検証し、イスラエルの政策の不当性・暴力性を可視化していく。また、ファタハとハマースの関係やオスロ合意(とその恣意性)など、かの地に関係するさまざまなキーワードが有機的に連関していき、状況を悪化させていった流れが(こう言ってよいものならば)理解しやすく説明されている。「なぜガザは『貧しい』のか」、「イスラエルパレスチナの人的な動線はどのように変遷してきたか」など、経済学的、人口動態学的な部分からパレスチナの状況を詳しく知りたいとき、必ず助けになる内容だと思う。

 後半はロイ氏が自らの出自と関連づけてパレスチナ問題を語る。後半はさらに第一章「ホロコーストからパレスチナイスラエル問題へ」、第二章「〈新しい普遍性〉を求めて ポスト・ホロコースト世代とポスト・コロニアル世代の対話」に分かれる。後者は作家・徐京植との対話である。

 いずれの文章も極めて重要な示唆に満ちている。現代において占領や抑圧の意味するところ、そしてホロコーストへの批判と現在のイスラエルの行動への批判はさまざまな根拠のもと両立しうるということなど。

 同著者による『なぜガザなのか:パレスチナの分断、孤立化、反開発』も近く入手したいと思っている。即時の停戦と、被占領地の解放を願う。