セクシュアリティについて

 この2〜3年ほどの間、纏まった言葉にすべきかすまいか迷い続けてきたことがあった。しかし、ここ最近になって色々と思うところもあったりして、ひとつここできちんと纏めてみようかと思った。以下の文章は基本的に自分自身のためにしたためるものだけれど、もしも立ち止まってくれる方がおられればとても嬉しく思います。

 

 私はこれまで27年生きてきて、誰かとSEXをしたことがない。また、特定の誰かと恋愛的なパートナー関係にあった時期も特にない。敢えてこうした事実に理由をつけるとしたら、ひとえに「私がそういったことを求めていないから」ということになる。

 

 私は自分のセクシュアリティをAsexualであると自認している。アセクシュアルと読んでもいいし、英語風にエイセクシュアルと読んでもかまわない。どちらでも通じる。Aceと略すこともある。異性・同性を問わず他者に性的魅力を感じない、端的に言えば「SEXをしたい」と心から思うことがない。

 また、恐らくAromanticだろうとも考えている。読み方はアロマンティックか、もしくはエイロマンティック。Aroと略すこともある。こちらは異性・同性を問わず他者に恋愛感情を抱かない。端的に言えば恋愛的なロマンスを感じることがない。

 Asexual、Aromanticとも、いわゆるセクシュアルマイノリティの一類型として数えられるもので、最近になって専門書の邦訳なども増えてきている。また、コミックや小説の登場人物の属性として描写されることも結構多い。

 

 今でこそ「(性的・恋愛的)パートナーを欲しない」という自己感覚に確信を持っているものの、思春期には、「恋人がほしい」という思いを抱かなかったわけではない。ただ、それは今思えば、「誰かのことを心から好きになり、同じ時間を過ごしたい」という感覚ではなく、「周囲の友人がもっている存在を自分はもっていないことが落ちつかない」という感覚に起因していたと思う。要するに、個々の多様なパートナーシップを無視し、他者を所有物として見る価値観に基づいていたわけだ。無知で傲慢だったわけである。パートナーとリスペクトし合い、恋愛やSEXに向き合っていた友人たちに対しても失礼な考えだったと思う。

 

 しかしながら、いくつになっても誰かと一緒になりたいという思いを抱かず、SEXの欲求(ついでに経験)もない自分は“ヤバい”のではないか、どこか異常なのではないかという漠然とした不安は当分続いた。

 大学を卒業してしばらく経った2019年の末ごろあたり、とある本を読んでいてAsexual、Aromanticという概念に出会った。率直に言って、心底ほっとしたことを憶えている。誰とも(性的ないし恋愛的な意味で)繋がろうと思えないことは、自分だけが抱えているおかしな悩みではないこと。きちんと名前があり、セクシュアリティのひとつとして存在していること。カビまみれのパンのようにケバケバしていた精神の一部分に、くっきりとした輪郭が与えられたような思いがした。

 

 Asexual/Aromanticであることを言わずに生きていくことは特に難しいことではない。今までどおり誰ともSEXせず、付き合わずに過ごしていけばいいだけなのだから。と、そう思っていた時期が自分にもあった。

 実際には、歳を重ねていくにつれて大きな異性愛規範の存在を実感する機会が増えていく。「“彼女”はいるのか」、「結婚はしないのか」、「ふだんどんなSEXをしているのか」etc……。そうした質問を悪いものだと言うわけではない。しかし、それらに「いないよ」、「その予定はないよ」、「言わねーよwww」と返すときに、小さな引っかかりを覚えるのも事実である。

 

 もう少し踏み込もう。「恋人がいるのか」と訊かれて「いない」と答えると、「きっといい人がすぐに見つかるよ」、「モテそうなのになあ、不思議だね」、「諦めちゃダメだよ」と、多くの人は言ってくれる。私はそれを嬉しいと思う。私のために、元気づけようとしてくれているのがわかるから。一方で、私はそれを寂しいと思う。彼らの言葉通りに心が動くことがないことを、ほかでもない自分自身がよくわかっているから。

 

 最近はかなり減ったが「童貞やん」と揶揄してくる人もいる。私はそれを無視する。聞く価値のない言葉だから。

 

 インターネットで飛び交う「男女の友情は成立するか」や、「カッコいいのに彼女いない人って不思議〜」といった投稿がバズるのを見ていると(そこに私がお呼びでないことは重々承知ながら)、違うんだよなぁ、という思いが頭をよぎる。文字どおり「多様」であるはずの人間関係に「正解」や「ゴール」を設定し、安易なエンタメに落とし込むことを、私は(感性的に)貧しいと思う。強い言葉を使ったことをお許しいただきたい。

 

 長々ととりとめのないことを書いたが、私の思いとしてSEXや恋愛を否定する意図は一切ないことを改めて明言しておきたい。言いたいことは、ごく自然な感覚として恋愛やSEXを求めない人が──少なくともここにひとり──いることと、(性的ないし恋愛的な)パートナーが不在であることを、どうか寂しいことだとか、欠けていることだとは思わないでほしいということである。

 互いに尊重し支え合えるパートナーと共に人生を歩む人も、特にパートナーを必要とせずひとりで歩む人も、いつかパートナーと出会うために前を向いて進む人も、分け隔てなく祝福され、リスペクトされるべきである。私はそうしたい。

 

 ことしの10月22日〜28日はAceweekといって、Asexualの人がいろいろ発信するよい機会になっているらしい。本投稿はそれにあやからせてもらったところも大きいが、基本的には私が常日頃から考えていることである(Asexual/Aromanticということに関しては考えているというか、自分のこととしてシンプルに捉えていることというべきだろう)。

 繰り返しになりますが、この文章は基本的に自分自身のために書いたものです。特段誰かからリアクションをもらうことを想定はしていませんが、もしこれを見て立ち止まってくださる方、何か新しく考えを持ってくださる方、或いは何かしらの共感を覚えてくださる方がいらっしゃれば、どのようなかたちであれ非常に嬉しく思います。

 

#Aceweek