不完全中高一貫校

 結局途中で投げ出してしまったのだが、大学生のときに1年だけ学校の先生になるための勉強をしていたことがある。いわゆる教職課程というやつである。

 その節に、中学と高校がセットになっている「中高一貫校」というやつのうち、高校から学生を取らずに中学受験だけで入試を完結させる学校のことを「完全中高一貫校」と呼ぶことを知った。有名な学校でいうと麻布や雙葉なんかがそれである。

 自分が育った地域には中高一貫校が少なかった。ゆえに都会に出て一貫校の絶対数の多さに驚いた記憶がある。さらに学校によっては高校からは入学者をとりませーん、ともなれば、都会の学校を知らなかった人間からすれば「そんなことが許されていいのかッッッ!!」という話である。一方でまあ合理的なシステムだということも理解できるところではある(とはいえこれは教育格差の問題にもつながってくる。ともかく情報強者になるよりほかにほんとうに道はないのか、と考えさせられる)。

 

 ところで、大好きな漫画である『違国日記』を読み返している。1〜3巻のフィジカル(って言い方、本や漫画にも適用していいんでしょうかね)は人に貸してしまっているが、大丈夫、電子書籍ももっている。ということで取り急ぎ電子版を読んでいる。

 2巻のpage.8は印象的なエピソードである。友人とトラブり、中学の卒業式に出ずに帰ってきてしまった姪・朝に叔母・槙生がこんなことを語る。

 

「学生時代の友人が一生ものとは言わない/大人になってからの方がかえって気の合う友達もできた/でもダイゴとかは……/…なんだろうな」

「…お互いを10なん歳から知っている人間がいてくれることは ときどきすごく必要だった/わたしにはね」

 

 ダイゴ、とは槙生の中学時代からの友人である。作中で2人は都内の中高一貫校に通っていたことが示唆されている(おそらく私立だろう)。中高6年同じ学舎、というのはさまざまメリットがあろうけれども、ここが非常に大きなアドだよなと思った。私が触れることのできなかった感覚だと思った(末尾の「わたしにはね」という言葉の深い思慮が沁みた)。

 

 

 地元の中学校では人間関係の形成をうまくできなかった。中学校の同級生で、今でも連絡をとれる人間は大げさにではなくひとりもいない。

 

 進学の際は中高一貫校に高校から入った(つまり「完全中高一貫校」ではなかったわけだ)。3年間で学校に馴染みきれたかというと、あまりそうは思わない(まあこれは自分自身の性格の問題が大きいだろうけれど)。個人的に仲良くなれた友人はいたけれど、学校全体の雰囲気とか、校舎への肌馴染みとかはまた別の問題である。そのあたりは、6年一緒にいるのと3年とではそりゃあ違う。やっぱりそこは、努力では埋めようもないことだ。

 

 

 ……なんていうことをずっと思っていたのだが、なんのはずみか、高校を出て何年も経つ昨年、当時の同級生と会って話す機会が結構あって楽しかった。在学中から親交があった友人はわかるのだが、全然そうでもない(と言っては失礼だが、向こうもそう思っているはずなので言っちゃう)友人と飲んだりもして面白かった。面白かったし、本当にありがたいことだと思う。

 

 なんとなく自分からは遠いところにあると思っていた「…お互いを10なん歳から知っている人間がいてくれることは ときどきすごく必要だった/わたしにはね」という台詞の解像度が、最近になって妙に上がっている。この台詞の本質は、中学からか高校からか、というところではないのかもしれない。

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