春をやり過ごす

 花粉症を患いしすべての人にとって、春という季節は多かれ少なかれ憂鬱な季節であろう。私もそうである。

 私の場合、毎年の花粉症発症には明確な「初日」がある。今年は【2月20日(月)】だった。いつが初日か、という判断基準は至って明快で、とにかく花水が止まらない。

※「花水」について。正式な表記だとあまりにも画面が汚くうつってヤなのと、そもそもこの生理現象の原因が「花」であることに掛けてこういった表記としている

 

 一度屋外に足を運んでしまったら、その後どこにいようが何をしていようがお構いなしにエンドレスで花水は出てくる。どうしようもないので(大袈裟ではなく)5分に1度はブ、と鼻をかむ。
 仕事中などにこれに来られるとたまったものではないが、だからと言って仕事になりませんという訳にはいかないので、片手に鉛筆、片手にティッシュというスーパーマルチプレイを展開することになる。

 初日はそんな忙しさもあってアドレナリンが出ているのだろう、正直「花水が止まらない」ということ以外に支障はない。

 問題は翌朝だ。前日の鼻のかみすぎによって、頭部の前半分に深刻なダメージが蓄積されている。鼻の頭はヒリヒリと痛く、鼻腔の奥から脳の中心にかけて微熱を帯びた鈍痛が渦巻く。身体を起こすとそれらの痛みがぐわ、と勢いづく。憂鬱も憂鬱だ。

 これもだんだんと身体が慣れるのか、1週間もすればここまでのダメージは一々溜まらなくはなる。だが、他の季節にはないくしゃみと花水、それに眼の痒みが続くことに変わりはない。この流れをかれこれ20年ほどやっている。

 まあでも20年もやっていると、多少諦めがつくというか、ある程度こうした流れを受け入れるマインドが形成されていることに気づく。

 昔はとにかく春が苦手で(春生まれなのに)、花粉症ももちろんそうだし、諸々の環境が変わっていく季節がゆえのソワソワ感も決して得意なものではなかった。要はビビりなんです。

 これが今となっては、春が来たれば「おお今年もいらっしゃいましたか、まあお手柔らかにお頼み申しまっせ」ぐらいの気持ちではある。そういう心境の変化を味わえるという意味では、歳を重ねるというのは悪いことではないかもしれない。

 

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 中学を卒業した年の離任式だったか。風の強かったその日、ある壮年の国語教師が異動にあたり、「春になると強い風が吹くのはどうしてだと思いますか。古いものを飛ばし去り、新しいものを運んでくるためです」という話をされていた。ガキなりにこれは良い話だと思った記憶がある。端の方にいた、もっと歳上の教員がなんともいえない表情でいたのは別の話である。

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