2023 May. Books

 5月。ゆっくりじっくりと(言い訳)。

  図書館と書店のダブル通い、無理あるか? まあこれからもやりますが。

 

室生犀星 福永武彦編『室生犀星詩集』新潮文庫

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 この詩集の表紙には、黄色い蝶と青葉を携えた樹のシンプルな装画があしらわれているが、これ以上に本作にぴったり合う絵もないのではないかと思う。

 以前からなんとなく感じていたことだが、室生犀星の詩集には素朴な画集、あるいは写真集のような情緒を感じることがある。それが風景を描いたものであれ人物の心情を描いたものであれ、そこに浮かぶイメージがどういうわけかくっきりしているのである。

 裏表紙には「一人の生活人として苦しみ、自ら求め、その感情を詩に託して赤裸々に告白し続けた」とある。たしかに、犀星の詩にはテクニックよりも直感・情念が前面に出て(いつつも全体的には落ち着いた光のような何かに満ちて)いる印象がある。

 

 「ふるさとは遠きにありて思ふもの そして悲しくうたふもの」(p.17 小景異情 その二)

 

 いろいろなところで引用される一節だが、これはじつは都会からふるさとを思慕しているのではなく、故郷に戻ってきてからその意外なまでの素っ気なさを歌ったもの。肘などつき、どこか不満げな顔の人物が眼に浮かぶようである。

 

 

●ハン・ガン 斎藤真理子訳『ギリシャ語の時間』晶文社

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 声を失った女(作中一貫して「女」あるいは「彼女」と表現される)と、光を失いつつある男(作中一貫して「男」あるいは「彼」)の物語。女は、声を取り戻すためにギリシャ語の講座に通っており、男はその講座の講師である。2人の人物は各々の抱える「ままならなさ」と共に歩み、互いに少しずつ近づいていく。その様子に、ときには息苦しさすら覚えながらも、しかしページを捲る手は止めない。類まれな読書体験だった。

 訳者によるあとがきも興味深く、繰り返して読んだ。斎藤さんはハン・ガンのスタンスを表現して「繁栄と孤独が背中合わせになった社会のゆがみから決して目をそらさず、『和解のできなさ』を忘れない。『和解のできなさ』と共存しながら生きていく。」(p.234)という。以前読んだ『すべての、白いものたちの』(河出文庫)のことを思い出してみても、確かにそう。人々は溶けあわない。しかし、時間なり空間なり、何かしらを抗いがたく共有しながら、そこに“在”る。能動と受動の間で(あとがきでは『中動態の世界』(医学書院)も紹介されている)。

 

 

紀田順一郎『図書館が面白い』ちくま文庫

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 『図書館が面白い』。なんでもないようだがタイトルって大事で、これほどにこの本の内容を的確に表現したタイトルもなさそうである。

 大宅壮一文庫などの有名な私設図書館から、八戸市立図書館などの公共図書館、あるいは宗教と大学が組み合わさって日本屈指の貴重書所有館となった天理図書館など、さまざまな特徴ある図書館をその沿革から現在の利用状況まで読み物としてまとめている。個人的に興味深く読んだのは国立国会図書館の章である。今と結構違うからである(この本が出たのは1994年、要するに20年近く前)。開館の経緯やある時点までの歴史は変わらない部分だけれど、利用方法や図書館を取り巻く状況は、刻一刻変わり続けている。

 この本に書かれていることだって、数年後にはいよいよほとんど変わっているかもしれない。しかし、仮にそうだとしてもこの本が存在することには重要な意味がある。この時代にこんな血の集積地があったのだ、という証明としてである。それははからずも図書館の精神に直通するもののように思う。

 

 

●ガルシア=マルケス 鼓直 木村榮一訳『エレンディラサンリオ文庫

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 『百年の孤独』のガルシア=マルケスの短編集。今はなき文庫レーベル・サンリオ文庫からの刊行。

 「大きな翼のある、ひどく年取った男」と邦題のもとになっている「無垢なエレンディラと無情な祖母の信じがたい悲惨の物語」の2篇が特に好き(しかし後者、ものすごいタイトルだな)。前者は、尊崇すべき存在であるところの天使がみすぼらしい老人として描かれている点にまず意外性を感じた。

 収録されているどの作品も、なんらか幻想的な空気を漂わせている。一方で、登場する人々の(よく言えば)人間らしさ、(悪く言えば)どうしようもなさには妙にリアルな手触りがあり、これらの作品が単なるファンタジーでないことを思い出させてくれる。

 文章の言い回しや場面展開にはコミカルな部分もあるものの、やはり一貫して扱われているテーマは人間が抱く孤独、あるいは孤独にまつわる一側面であると思う。読後感は決してスッキリしたものではなく、一抹の寂しさも覚える。しかしそれでもこういった作品に触れたくなる瞬間がたしかにある。

 

 

●キム・ジュンヒョク 波田野節子/吉原育子訳『楽器たちの図書館』CUON

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 音楽のことを本で読む、というのはいつになってもいくらか不思議な気持ちになるものである。とくに実際に楽器を弾いたり、日頃から音楽を聴いたりする身にとっては。

 韓国文学を何冊か読んできた印象として、書き手のポリティカルなスタンスや問題意識が明確であることが1つの特徴であると感じてきたが(それはもちろん重要なことだ)、本作はそのような雰囲気から少し離れ、生活のなかでシンプルに音楽を愛好し、じっくりと向き合う人物の姿が描かれている。実際に、この作品が生まれた背景には韓国の高度経済成長があるという(訳者あとがき p.338)。むろん8篇の作品がこの世界の抱える問題から目を逸らし、蔑ろにしているわけではもちろんないが(でなければ零細デザイン事務所の社長が家賃を滞納したりしないだろう)、それと並行して紡がれる音を表す言葉が強く印象に残る。

 「ボールから抜けだした音は上に伸び、木の枝のように幾枝にも分かれて、音の実をつけていた」

 「社長と僕とコ・シニ氏は、丸テーブルの中央に生えた、目に見えない木と、木の枝に実って下に落ちてくる音を静かに見守った」(「マニュアルジェネレーション」、p.77)

 

 

●ドーデー 桜田佐訳『月曜物語』岩波文庫

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 古書店にてたまたま眼に留まり、購入。冒頭に入っている「最後の授業」のみ筋書きを知っていたのだが、きちんと読んだことはなかった。

 普仏戦争の時代を「敗戦国」の立場から描いた作品として、作家の悲しみ・憤りといった感情が登場人物の言動の端々から感じ取れる。個人的には、フランス人の少年がプロシア人兵士と金銭のやりとりをし、それを知った老父が戦いに出てしまうという一編が印象に残った(その名も「少年の裏切り」)。

 一方で、ドーデーが所謂ナショナリスト的な思想の持ち主で、反ユダヤ主義的な出版活動に協力していたという背景も捨て置くことはできないと感じる。愛国心という精神、(あるいはこういってよければ“現象”)は、それが見られる国や文化によって大きく姿を変える。『月曜物語』で綴られるそれはいかにも真摯で、いじらしく見える。しかし、それが気付かないうちに他者を排斥する方向へ向かっていないか、常に注意深くならなければいけないと思う。

 

 

●現代詩文庫96『青木はるみ詩集』思潮社

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 決して難解な語彙は使われていず、心象や風景を丁寧に描きとっていて、それでいてどこか不思議な読後感の残る詩集。生活者としての手つきを保ちつつ、ときに驚くような視点の移動やジャンプがある。

 「雨の気配に

  かすかな厚みがある

  扉を押してみると

  庭は

  誇らしげに退いた」(「彩」、p.62)

の「誇らしげ」と「退いた」という意外な組み合わせの生み出すテンポ感。

 「水がわたっている。スーパー正面のスロープを水がわたっている。ジーンズの裾を濡らさないように爪先立ってわたりかけた私の その爪先が つうーっとにごっている。血だ。」(「鯨のアタマが立っていた」p.80)の生々しさと奇妙な冷静さ。ところで、実際に鯨が台に盛って売られ、その血が床に流れているなんて光景があったんだろうか?

 詩人は、ちょうど昨年の5月に88歳で他界していたということを、この本を手にしてから知った。奇しくも、(これもまた古書店で入手したのだが)手元にあるのは署名入りだった。むろん一度もお眼にかかったことはないが、なにか不思議な縁を感じる。

 

 

●ポォル・ヴァレリィ アンドレ・ブルトン ポォル・エリュアル『思考の表裏』昭森社

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 変な本である。上段にポール・ヴァレリーの詩が、下段にそれを踏まえたブルトン=エリュアールの詩が載っている。

 「書物は人間と同じ敵を持つ。曰く、火・湿気・虫・時間。さうしてそれ自らの内容。」

 「書物は人間と同じ友を持つ。曰く、火・湿気・虫・時間。さうしてそれ自らの内容。」

こんな具合。それは上段の詩を下段のそれがイジっているようにも見え、真摯に向き合っているようにも見える。

 じつは、ヴァレリーの文章(『文学』)とブルトン=エリュアールの文章(『ポエジーに関するノート』)は別個に発表されたもので、ヴァレリーの『文学』が前出であるにもかかわらず『ポエジー〜』にはそれへの言及がなかったらしい。シュルレアリスムの実験として必要な手続きだったのだろうか(言及しないことを「必要」というのも変だけど)。

 訳者であり詩人の堀口大學によれば、上記の2つの文章を並べて発表するのはこの本がはじめてであるとのこと。翻訳と編集の妙技を感じられる。

 昭森社は1935年創業の出版社で、既に廃業している。

 

 

佐藤多佳子『明るい夜に出かけて』新潮文庫

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 タイトルに惹かれて図書館で借りた本。最初こそ普段あまり読むことのないカジュアルな語り口に面食らったものの、読み進めていくうちにそれにも慣れ、穏やかな気持ちで読み終わることができた。

 深夜ラジオをテーマにした作品で、実在の番組や芸人、あるいは地名が多く出てくるなどあくまで解像度は高いにもかかわらず、不意に登場人物のなかに自分を見出してしまうような普遍性を併せ持った文体で興味深かった。

 主人公が心を閉ざし、大学を休学するまでに至った遠因にラジオがあるにもかかわらず、当人はそのラジオを聴き続けているというのも興味深かった。なんとなくそういうのってトラウマになって遠ざけてしまいそうなものなので。

 あとこれは完全にオタクの妄想だが、金沢八景で真っピンクのジャージを着て徘徊してるJK(佐古田さん。重要人物)ってそれもう後藤ひとりでは? ってなった。ちなみにこの物語には下北沢も登場する。ぼざろが影響を受けている、わけはないか。

 

 

頭木弘樹編『うんこ文学』ちくま文庫

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 またインパクトの強いどストレートなタイトルである。しかし、この本の副題には「漏らす悲しみを知っている人のための17の物語」とある。「漏らす悲しみ」とは?

 編者の頭木弘樹氏は、文学研究家であるとともに、潰瘍性大腸炎の当事者として医学書院から『食べることと出すこと』を刊行するなど、排泄をテーマとした執筆も行っている。この本は、「排泄について、もっとオープンに話し合える場を作れないものか」という思いもあって編み上げられたとのこと。

 「うんこ」がテーマとあって相当ニッチな執筆陣なのかと思うが、普通に誰もが知っている文豪からお笑い芸人まで幅広く、かつメジャーなのも意外である。もちろん、それこそが「あの人もうんこ漏らすんだ…!」といううんこに関わるオープンな語りのトリガーとなるための布石なのだろう。

 収められている物語自体もそれぞれ面白く、あるいは興味深い。個人的ベストは阿川淳之『トルクメニスタンでやらかした話』、佐藤春夫『黄金奇譚』、ヤン・クィジャ『半地下生活者』。

 

 

●吉次公介『日米安保法制史』岩波新書

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 ニュースでもよく聞き、大切なイシューだと感覚的にはわかっていても、実のところしっかり学んだことがないこと。自分にとって日米安保もそのひとつだった。

 日本の敗戦から、現在に至る自民党政権の安保への向き合い方まで通史的に、体系的に見ることができ、有り体に言えば勉強になる本だった。こうした議題を語るうえでは、そもそも「批判する側」と「擁護する側」のどちらに立つかというのが避けては通れないと思うし、事実この本も「批判する側」から論じている。しかしながら、批判する側が成し遂げられなかったことや、自民政権が「成果」として残したこともしっかり説明するなど、冷静な文体の中にもある意味での誠実さを感じた。

 本書でも数多く紹介される、在日米軍に関連する数々の重大事件、そして沖縄の基地のことなど。この本を読んで知った出来事も多く、日頃ニュースなどを追っていてもまだまだ知らないことだらけだと痛感する。考えるために学びを止めないこと。改めて意識したい。

 

 

●島田潤一郎『電車のなかで本を読む』青春出版社

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 「わたしたちには、本が必要だ」。帯に記された一文にふかく頷く。「ひとり出版社」として本をつくる(そして売る)ことを生業とする筆者が、本を「読む」ことに向き合って綴ったエッセイ集。一編一編のエッセイには1冊の本が紐づけられており、それらを調べてみるのもおもしろい。

 この本の興味深いところは、単なる読書礼賛本に終始しないところである。いきなり「おわりに」からの引用になってしまうけれども、島田さんは本書について「すべての文章は本を読む習慣のない、高知の親戚に向けて書かれています」(p.194)、「ほんとうに豊かなものは、言葉のない世界にあるのではないか、とも思います」(p.195)とも語っている。私自身は読書が好きだし、だからこうして月々の読書記録なんてまとめているわけだけれど、だからといって本を読まないで生きていく人たちをおかしいとは思わないし、特に後の一文に関しては強い共感を覚える(最近は旅が好きだ)。

 折に触れてまた読みたいのは第3章「こどもと本」。私には子どもがいないが、ゆえに惹きこまれ、自分の知らない世界を見せてもらった気分になる。というか、これこそが読書の醍醐味なのでは?

 本書を手渡してくれた書店主の健康を祈念して。