お忙しいところ/ご多用の折

 手帳に今月の予定を書き込み、しげしげと眺めていたら、ふと「今月のおれは結構忙しいかもなぁ……」と思い至った。もともと自分で自分のことを「忙しい」と称することに漠然とした小っ恥ずかしさがあって、独り言レベルでもあまり言えないでいたのだが、このときはなんとも素直にそう思った。

 

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 数年前にはじめて結婚式に出席した折、「忌み言葉」というものについて一通り勉強した。「別れる」「切る」といった言葉は当然NGだが、組み合わせや発音によって縁起の悪さを想起させかねない言葉もNGである。そのラインでいうと「忙しい」もNGだ。「心(りっしんべん)」を「亡」くす、と書くからダメなのだそうだ。

 それでは、例えば仕事の合間をぬってきてくれた人にはなんと言うかというと、「ご多用の折にありがとうございます」と言えばよいらしい。なるほどね。

 忌み言葉の類は気にしすぎるのも考えものだが、それぞれの由来自体はけっこうとんちが効いているものも多く、日本語の面白さを実感する文化である。

 

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 仕事柄(どんな仕事でもそうかもしれないが)、「お忙しいところ……」という言い回しをよく使う。お忙しいところお手数をおかけしたり、誠に恐れ入ったり、ありがとうございましたり、内訳は色々だ。なお、これも「ご多用の折」で代替可能である。

 「お忙しいところ……」はしかし、考えてみるに恣意的な表現である。相手が本当にお忙しいかどうかは、本人に聞いてみなければわからず、当方で勝手にそう思っているだけからだ。もちろん、一緒に仕事をしている相手に「僕は今とっても忙しいんでね〜」という人もなかなかいない(私は会ったことがない)。相手が実際にどうであるかはいったんおいといて、きっとあれこれやることがあるだろうなと察して書いておく予防線のようなものだ。

 見方を変えれば、その恣意性のわりにはそう押し付けがましさがなく、きちんとクッションとしての役割を果たしているケースが多いのが「お忙しいところ」の興味深いポイントかもしれない。

 そして、忙しさというものはあくまで人それぞれのものでもある。仕事の絶対値が同じでも本人のキャパシティや得手不得手で忙しさの値は変化しうる。こっちが「あの人忙しそうだなあ」と思っても、当人はへでもねーよ(CV: 藤井風)と思っているかもしれない。逆もまた然り。そういう面でも「お忙しいところ」に本質的な意味を見出そうとすること自体が野暮なのかもしれない。

 

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 「ご多用」からの連想で思い出したが、おトイレに行くことを「用を足す」と言ったりするけれどあれはなんでなんだろう。するものをすることを「用」と捉えるなら、それを済ませることはむしろ「用を減らす」というべきではないか。未だに納得のいっていない慣用句の一つである。