野球

 今朝、電車に乗ろうとしたら前に並んでいた人が携帯を落とした。拾って手渡したのだが、そのときに一瞬だけ画面が見えた。

 野球のゲームだった。画面の中央にバッターが立っていて、バットの先っぽをグーっとスワイプして、ピッチャーの動きに合わせて良い具合に指を離すとめでたくヒット、というアレである、たぶん、あまり詳しくないけれど。

 携帯を受け取ったその人はどうも、と軽く会釈すると、席についてプレイを再開した。ふと見るともう片方の手には文庫本を携えている。栞紐がついているからたぶん新潮文庫だろう。野球のゲームアプリと文庫本。あと僕と彼と、ついでにそこはかとないチグハグさを乗せて、電車は新宿へ向かう。

 

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 野球はあまり観ない。

 いや、野球以外のスポーツもべつにほとんど観ないから、より正確には「野球“も”あまり観ない」である。ただ、一般論として野球は観ている人の人口が多いので、どうしても観ていない自分のほうが多少目立つということになる。野球はあまり観ない。

 

 今はそんなことはないが、子どものころは野球が嫌いであった。何のことはない。例の野球中継(の延長)というやつで見たい番組がよく遅れたからである。特に「トリビアの泉」がよく遅れた。トリビアは21時から1時間の番組だったから、例えば野球のほうが30分遅れるとトリビアは21時半スタートの22時半終わりということになる。年齢ヒトケタの子どもにとって夜の30分遅れは大きかった(単純に眠くなるから)。

 大人のクセに時間を守らない野球中継のほうがどう考えても悪いのに、こんなに面白いトリビアのほうが遠慮せにゃならん道理がどこにあるか、と子どもながらに憤っていた。この仕組みにはまあ色々と理由があるということ、そして別に幾つになっても時間を守らない大人はいるということを知ったのはだいぶ歳を重ねたあとのことである。そんな感じで、わりに良い歳まで、野球に対する印象はそう良くはなかった。

 

 高校生のとき、学校のイベントで野球応援というやつがあった。大学とくっついているタイプの高校で、3年次も結構ヒマがある。そんなところ、大学の野球部がちょっと大きな試合に出るからちょいと学年揃って観に行こうか、というわけだった。一応公式イベントなわけである。秋の初めぐらいだったと思う。

 授業を受けなくていいのはまあありがたかったけれど、僕は上記のとおり別に野球が好きなわけでもない。なーにを野球ばかりゾロゾロ連れ立って観に行かにゃならんだ、アーチェリーやらフェンシングやらトライアスロンは観に行かんくせになどと表向き冷めたツラを下げつつ、神宮球場まで足を運んだ。

 で、行ってみるとまあ殊の外楽しかったのでびっくりした。もちろん(と言ってはなんだが)細かいルールとか選手の名前とか、ましてや今味方のチームが打ったボールが良いのか悪いのか、そんなことはまるで分からない。が、なんか楽しかったのである。たぶん、僕は「野球場」というところの雰囲気が嫌いでなかったのだろうと思う。遠くてよく見えないけれど、でも間違いなく目の前で、全身でボールを追っている人たちがいるこの感じ。同じくよく見えないけれど、相手チームの応援勢がガチャついているあの感じ。うん、良いなあ。と、なんかそう思ったのであった。それから野球そのものも特に嫌いではなくなった。

 

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 その後、今に至るまでに2回ぐらい野球観戦に行った。2回ともチケットは貰いものだったし、相変わらずルールも選手もよく知らなかったけれど、やっぱり結構楽しかった。

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 とはいえ、今も家で野球は観ていない。ふらっと入った中華屋とかで中継が流れていたりするとぼんやり眺めることはある。もうトリビアの泉はやっていないし、夜9時から観たい番組もないし、どうせ今夜も2時ぐらいまでは起きている。別にイライラもワクワクもしない。

 だが、そんな具合に中継を眺めているときにふと「あ、野球場行きたいかも」と思うことがある。そういうことに気がついた。競技自体にするリスペクトはこの程度なのに、場の空気だけは味わいたいとはなんとも都合の良い、というかナメくさった話だと自分でも思う。けれどもそれはそれなのである。こんど西武球場にでも行ってみようかな。

 

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 そういえば昨年ぐらいに東京ドームの売店の脇で、ロング缶を片手に文庫を読み耽っているジイさんが居たことを思い出した。やっぱり栞紐がついていたから新潮文庫だと思う。なぜその状況で読書を始めたのかと、何を読んでいたのかが気になるところである。

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