左上のアレ

親不知を抜いた。

上下左右と4本あるが、今回抜いたのは左上である。

 

仕事終わりに中野坂上丸亀製麺で「釜玉うどん 並」をくっていたときであった、

「ザリ」と 明らかに釜玉うどんの構成要件ではない何かの歯応えがした。

タマゴのカラでもうっかり混じったのかとも思ったがそうではなかった、断じて丸亀製麺の手違いではなかった。

 

明らかに頬の内側に「ザリ」の出処たる感触があったからである。

左側の奥歯が欠けていた。

 

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歯の丈夫なのがささやかな誇りであった僕だが今やそんなことは言っていられないので、その週末に家から歩いて3分の歯科医院に駆け込んだ(土曜はともかく日曜も診療しているヤバい歯医者さんである)。一生世話になるまいと思っていたのに。

エンニオ・モリコーネの「ニュー・シネマ・パラダイス」のオルゴール・アレンジが流れる待合室でひと息つく間も無いまま診察に呼ばれ

 

「あー親不知が虫歯になってますね、これはもう詰め物とかでどうにかするのは厳しいので抜い」

ああああああああ

ハイハイ。アレだ。日本人の8割(体感)が経験するという「親不知を抜く」というイベントがついに僕にも訪れたというわけである(ちなみに日本人の1割は親不知が「生えない」のだそうである。とある先輩に聞いた)。

 

「あ、抜くんですね。わかりました」

平静を装っているが内心血の気がひいている。高校受験の当日やゾンビ映画ではビビらない僕だが親不知でクソほどビビっている。

親不知を抜かなければいけないという事実プラス自分でも引くほど抜歯にビビっている自分の存在にテンション下がりながら家路に着く。

 

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抜歯までの1週間。よせばいいのに友人知人の抜歯体験を募る。

 

「僕は2時間かかりましたね」(嘘だろ)

「なんか歯の根っこが曲がってるとかで、俺のときは砕いてバラしたな」(砕いてバラしたってなに? 考古学の演習?)

「切らなければそんなに痛くないよー」(逆に切る場合とかあんの?)

「お酒はしばらく控えないとダメね」(まあ...それはいい...)

「タバコも数日は吸わないほうがいい」(ガッデム)

「日頃の行いがよければ腫れませんよ!」(じゃあ大丈夫か...)

 

あーーーーーーーー。

(お寄せいただいた皆様ありがとうございました)

 

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抜歯前日。

不思議なほど冷静である。

嘘。午前4時まで起きていた。寝られなさすぎて今までやったこともないジャズのベースをコピーしていた。

 

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朝、歯を磨きながら「お前を磨くのも今日で最後なんだな、、、」と左上のアレに思いを馳せ、妙な感傷に浸る。

もはやそれほどビビってはいなかった。

むしろ、曲がりなりにも5年ぐらい我が身体で共に生きていた左上氏との別れの切なさを、思っていた。

(多分本能的に恐怖を抑制していたのだと思う)

 

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「ちょっとチクッとしますね〜」

 

「ふぁい」

 

「ちから加えていきますね〜」

 

「ふぁあ」

 

「ハイ、抜けましたんでコレ(ガーゼ)噛んでてくださいね〜」

 

「ふぁう」

 

マジ?

そんなもんなん? 僕の激エモ・抜歯前夜はなんだったの?

 

明らかに現代の歯学と、我が歯根のマトモさをナメ腐っていた僕である。

 

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「ところでこの歯、お持ち帰りになられますか?」

 

「いえ結構です」

 

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ずいぶん大袈裟に切ながっていた割には、あっさり左上氏との今生の別れを受け入れることができた僕であった。

なんのことはない。

見た目がアレだったからである。

 

 

歯医者さんのBGMってほぼ100でポップスのオルゴールアレンジなの、なんでなんでしょうかね? 落ち着くから?