左ききの俺ン

 自分の名前がうまく書けない。


 元々僕は「上手に書ける字」と「上手に書けない字」がはっきりしている。区別は簡単。前者が画数の多い字、後者は画数の少ない字である。

 習字の授業なんかで、「画数の少ない字ほど丁寧に、バランスを考えて書きなさい」と先生に言われた経験のある人はわりといるのではないだろうか。原則として、紙の上では画数が少ない漢字が広々と大きく見え、多い漢字はキュッと縮こまって見えるのだそうだ。よって、全体のバランスを整えるには、画数の少ないほうは慎ましく品よく小さめに書き、画数の多いほうはむしろむりに遠慮せず、書きやすいように書くのがよい、という理屈である。たしか。

 要は、僕はこれができない。画数の少ないほうなんか特に意識せずデカデカと書いてしまう。そうしてひと通り文章を書いて見返してみると、画数の少ない漢字が置いてある箇所が間延びして、なんとも不格好になってしまうというわけだ。以下、好きな漢字の組み合わせといやーな漢字の組み合わせを東京の地名で見ていく。

 


① 画数多+画数多=素晴らしい。

例:練馬、巣鴨、蔵前など。特に「蔵前」なんて2文字とも四角っぽい。書きやすい。これは好ましい。そのほか、「池袋」あたりも「池」の画数がもっと欲しいとは思うものの、許容範囲。

 


② 画数多+画数少=まあいける。

例:鶯谷、豊田、葛西など。このパターンは、最初に画数の多い字を持ってくることによってバランスをうまく決められる。これならば、後ろに心許ない字が来てもなんとか大丈夫。前の字に合わせて大きさを調整すればいいからだ。高田馬場清澄白河などの変則パターンもここに入る。それぞれ「高」、「清」が上手に書けさえすればこちらのものだ。

 


③ 画数が少ない+画数が多い=非常にいやらしい。

例:目黒、上野、三鷹など。これは大変神経を使う。前の字をいかに上手に書くかに全てがかかっているからだ。で、大概上手に書けないのだ。後ろの字でなんとか調整するチャンスが残っているのが、せめてもの救いである。「高円寺」なんかも一文字めの「高」で処理できるかと思うと、後半の「円寺」でだいたいしくじる。

 


④ 画数が少ない+画数が少ない=ふざけてるのか?

例:目白、中井、大山など。前も後ろもスカスカじゃないですか。いったいどこで落とし前をつけろというのか。あまりに救いがなさすぎる。却下。金輪際ワードでしか打ちません。ついでにいうと「六本木」「西大井」あたりはもう論外である。

 こんな感じで好き放題言ったが、それぞれの字面に文句を言っているのであって街自体はどこも結構好きなので悪しからず(葛西以外は全部行ったことがある)。


 それでなんで自分の名前がうまく書けないということになるのか。「大橋」なのである。僕の名前が。ついでにいうと下の名前2文字も画数は割と多い。これもこれで難関なのだ。「大」の画数はたったの三画だ。見ればわかる。しかもただの線3発だ。こんなの、筆の勢いのままデカく書くよりないだろう。

 もちろん上の理屈でいえば後ろ3文字で挽回のチャンスがあるということなのだが、しかしこの「橋」という字は画数が多い字の中では例外的にやや書きづらい。縦横の棒と、ナナメの棒が入り組んでいるからだろう。となるとこっちでバランスを取り直すのも難しいのである。

 結果、手紙なんかを書くと封筒の表側、相手の名前は綺麗に書けているのに裏側の差出人欄がなんかショボい、なんていうことになり、非常に落ち込むのである。字の得意・不得意ぐらい多少あってもいいだろうが、こともあろうに不得意の側に自分の名前が入っているというのは何とも言えず悲しいことである。ペン字教室にでも通おうかしら。


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 ただ僕も長年の鍛錬によって、自分の名前以外に関してはけっこう綺麗な字を書いている自信がある。しかも僕は左利きである。漢字って、というか文字って基本的に右利きの人が書きやすいようにできているので、これはすごいことなのである。左利きの人たちというのは、言語レベルで一枚壁を乗り越えてきているのである。もっと尊敬してください。f:id:tetsuoji:20220401215246j:image