漫画を読んでいる

元より本はよく読むほうであったが最近はマンガにハマっている。

思えば全然マンガを読んでこなかった人生で、小学校時代など格好をつけて「シャーロック・ホームズ」シリーズなど読んでいた。

お陰で同級生たちが通ってきた「NARUTO」「鋼の錬金術師」「ワンピース」「名探偵コナン」あたりのいわゆる名作と言われるマンガ道を一切通らずにここまできた(ホームズに悪意はないけれども)。

 

しかしここ数ヶ月はマンガアプリの力を借りて(出版社が出しているちゃんとしたやつですよ。海賊版アプリじゃないよ。あれ違法だからね)マンガの面白さに齢23にして触れてからというもの、スマホでは飽き足らず書店に足を運んで紙のマンガを買い込んでいる。

 

とはいえ、僕のような「マンガ初心者」には既に20巻も30巻も出ている大作は荷が重い。というわけで今よく読んでいるのは巻数が少ないやつとか1巻完結ものだ。

 

 

ここ最近で好きねぇと思ったマンガをざっと。統一感ねぇ〜。てか、暗ぇ〜。

暗いと言っては言葉が乱暴だが、少なくともテンションアゲアゲ系のマンガはあんまりない。これも性格だろうか。まあいいや。

 

今年はもっと色んな創作物に触れたい。今までも色んなカルチャーに触れてるぶってきたが、まだまだだ。去年僕が触れてきたものなどほんの少しの本と音楽だけだ。

今年は映画も観ようと思うし、お笑いも掘っていきたい。旅に出るのもいいなぁ。

もちろん本も沢山読みたいし、音楽ももっとアンテナ張っていこう。早くも東京事変の復活だなんだで2020年の音楽シーンはザワついているところだ。

 

とりあえずこれを見てしまった残念なあなたはオススメのマンガを僕に教えてください。

師走・祝日

どんな仕事もそうだと思うが12月は忙しい。

学生をやっている友人や後輩も12月は忙しいよう。そういえば去年の今頃は卒論を書いていたし(提出が年明けてすぐなので)、一昨年は就活を控えてインターンなんかに参加していた気がする。その前もその前でなんか忙しかった気がするな。

年末の慌ただしさはどんな立場の人も同じようである。

 

「師走」という言葉の語源はWikipedia曰く「古いことなのでよくわからない」らしいが、何かの本に「先生(師)も走るくらい忙しいということ」みたいなことが書いてあった。上手いこと言うなあという感じだ。

 

そんなことを考えながら、令和元年も終わるなあとカレンダーを眺めていたら、あることに気がついた。

ない。

祝日が、ない。

 

そうだ、まさに令和に時代が変わったから、今まで天皇誕生日だったあの日が平日になったんだ。そんなあ。

っていうか前の天皇陛下のお誕生日ってお休みじゃなかったっけ? みどりの日とかあったじゃん。今は昭和の日か。

 

…これで6月に加えて12月も祝日のない日になってしまった。こういったことで時代の流れを感じることになるとは。

 

Gとポップネス

夏の頭から東京の西の方にある感じのよい街で一人暮らしをしているのだが、昨日ついに、

 

出た。

 

名前を出すと呼ばれてまた出てきてしまう気がするので伏字で、G。もうおわかりですね。

外出から帰宅した夜9時頃、溜まっていました洗い物を処理しようと台所に立ちましたら、oh。視界の端にこげ茶色のウゴメき。

 

 

「人間が絶滅しても奴らは生き残るってよく言うよね笑」

ダンボールの隙間とかに潜むらしいんでその辺は早く捨てた方がいいらしいっすね」

「南米の森にいるのはめちゃくちゃ綺麗らしいよ、あ、色の話」

「マジで生命の危機を感じたときだけ飛ぶんだって」

 

……あああ。奴に関する雑学や伝聞が走馬灯のように脳裡を走る。しかし、実際に奴に遭遇した今この瞬間、そんな雑学たちは何の役にも立たないことを嫌でも実感してしまう。

 

ふと素面に戻ると奴の姿は既にない。アワアワしている間に見逃したのだ。

そうだ、あれだ。Gの捕獲といえば。咄嗟にサンダルを突っ掛けて外に飛び出す。

 

……雨。昼間は晴れだったのに。

こんな状況にもかかわらず、頭の中では「こんな日に限って突然雨は降り出してくる〜♪」と石崎ひゅーいが歌い始める(ちょっと前に書いた水戸の話参照)。自分ながらつくづく呑気な音楽脳だ。

 

閉店間際の薬局に駆け込み、「××ホイホイ」とついでに虫除けシートを掴んでレジへ。

 

レジのお姉さん「(僕の片手にある傘を見て)あれ、雨ですかあ」

僕「結構降ってますよ〜、日中は晴れてましたけどねえ」

お姉「お気をつけてくださいねえ」

 

だから呑気か。そもそも閉店間際だし、こっちはこっちでGとの攻防戦の最中だろ。呑気の渋滞だ。どうも人間、差し迫った局面で妙な落ち着きを見せる。

 

 

帰宅し、色々と残念な感情を抱えながらホイホイを組み立てる。少しでもテンションを上げようと、RCサクセションの「雨上がりの夜空に」を(近所迷惑にならない程度に)デカめにかける。

 

組み立てながら、そのデザインのポップさに面喰らう(ホイホイを買ったのは実は初めて)。

 

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何だその眼は

 

何度でも言う。呑気か。

捕獲という目的に対して、あまりにも穏やかなデザインすぎはしないか。

 

差し迫った何かに対して、殊更クッキリと立ち現れてくる場違いな落ち着き。一体なんなんだろう……

 

秋めく

すっかり秋めいてきまして…などというものの、ここ数年夏から冬への切り替えが急激だなあと思う。

夏が終わったあと、秋らしい、「良い感じに晴れて涼しすぎない気候」が全然ない。全然ないまま、「普通に寒い」ゾーンに行っちゃうんだもん。

それはそうと今は秋、秋と言えば紅葉。紅葉についてはすごく印象に残っている映像がある。

 

 

Glenn Gouldというピアニストがいるのだが、確か彼のドキュメンタリー映像に挿入されたものだったと思う。

彼の出身・活動の地であったカナダの雄大な紅葉のなかを(たぶん)彼自身が運転するセダンが駆け抜けていく、という、

それだけといえばそれだけのシーンなんだけど。

 

3 Intermezzi, op.117:No.2 in B-flat Minor.

BGMとして使われていたこの曲が、あまりにもしっくり来ていたのだった。是非聴きながら紅葉ドライブを想像してみてください。

19世紀ドイツの作曲家であるBrahmsの曲に20世紀のカナダの景色が組み合わさった映像を21世紀日本のあんちゃんである僕が観てヌオオと感銘を受ける。

音楽とか視覚情報の持つ美しさの持つ(こう言ってよければ)普遍性というのはすごい。

 

今年はどこかで紅葉が見られたら良いな。青梅の御岳とかどうかしら。

 

エアボノボ

Airbnbってあるじゃないですか。仕組みはよく知らんけど、大勢で集まって泊まりで遊ぶときに便利なアレである。

 


Airbnbの読みは「エアビーアンドビー」だ。bとbの間のnがどうやらandを指すらしい。Rock and RollからのRock n Rollと同じ要領か。フムフム。

 


ボノボだろ、どう考えても。bnbという並びから連想される言葉の話だよ。パッと読んでブヌブ、でもブヌブじゃちょっと語呂が悪いなあ。あ、ボノボボノボいいじゃん、そういうちょっと洒落たおサルがいるし。エアボノボ、いいね、楽しそう。天空を飛び交うボノボ

 


だと思ったらAirbnbって書いて「エアビー」って言うんだってよ、普通は。アンドビーまで言ってると長いから、エアビー。知り合いの陽キャがそう言ってた。なんならAirbnbという文字列を見て、パッと「エアビー」と読めるらしい。嘘だろ。

 


なんだよそれ。奴らはbnbという文字列に惑わされないというのか。そして「アンドビーまで言ってると長い」こと、「そいつはボノボではない」ことを瞬時に判断して「エアビー」なる至極合理的でスタイリッシュな呼び名を呼び出すというのか。なんだよそれ。すげえじゃん。

 


大勢で集まって泊まりで遊ぶ陽キャにはエアビーアンドビーなんてフルで言っている時間はないのだ。増してや"Airbnb"という文字列を見てウーンナンダコレと唸り、天空を飛び交うボノボの夢想に耽っている無駄な時間も過ごさないのだ。たぶん。

 

月末

文章を書くアウトプットの場にするンゴ!

と言って始めたブログも、無事頭の隅の方に置いておかれる存在になりつつある。せめて月1では何か書こうと思っているものの、気づけば月の終わりになって「あ、今月書いてねえや」と思い出して適当なことを書く羽目になっている(無理やり書く必要はないんですけどね)。

 

月末。

特に今日は8月31日ということで、なんとなく「夏休み最後の日」感もある。

いや、今日携帯の料金が引き落とされるし公共料金のことも気にしなくちゃいけないし、感傷に浸っている場合ではないのだけど。

 

以前このブログでも取り上げたフジファブリックの『茜色の夕日』という曲の中に、

「短い夏が終わったのに今子どもの頃の寂しさがない」

という一節があるが、よく言ったものだと思う(ところで昨日久しぶりにライブハウスでバンドをやったのだが、この曲もやった。一緒に組んだ後輩がMCでまさにこの一節に触れていて素晴らしかった)。

 

まあ、こんなことを書いておいて僕が四季でいちばん好きなのは「秋」なので、来たる秋の足音を楽しみにしている。

 

 

水戸

というのは僕の住んでいた街である(ここでロックバンド「くるり」のファンだったらピンとくるだろう。こなかったら『僕の住んでいた街』で検索検索。名曲揃いのB面集です)。

ここ最近、この街のことをふと考える。

今月からぬるっと一人暮らしを始めたので、なんとなく「住む」とか「住んでいた」ということに意識がいくのだろうか。

 

僕は正直、自分が生まれてから15年も住んでいたのに水戸が別に好きではなかった。嫌いと言ってしまったらあまりに忍びないので、「好きではな」かったにしておいてあるが、まあそのぐらいの認識だったということである。

理由はまあありふれたもので、小中といじめられっ子だったから(学校に関しては)あまりいい思い出もないし、横浜に引っ越してからも「出身どこなの!?へえ、水戸…ふぅん…」みたいなことになって会話が途切れたりとかあったし(いやいや流石に水戸ぐらい知ってるよ、と言いたい気持ちはわかる。だが諸君、水戸の名産品を納豆以外に言えるかな?10秒待ちます。はい時間切れ。次行きます)と、

そうこうするうちに僕は故郷の街に愛着がなくなってきてしまったのでした。

 

とはいえ。

テレビを見ていて地元が特集されていたりすると(そもそもそんな頻繁に特集されるのか、というツッコミはなしである)おっ、あそこらへんかぁとテンションが上がったりするし、

大学進学を機に上京してきた(数少なかった)友達にばったり会えばそりゃ嬉しいし、

 

好きだろうと嫌いだろうと、一度住んだ街というのは自分の意識から離れないものらしい。

今年の夏も一回ぐらい水戸に行ってみようかしら。

 

(石崎ひゅーいさんは水戸出身らしい。最近知った。冷蔵庫の中にチンパンジー)