記憶について

 最近また本棚が溢れかえってきたので、半日ほどかけて整理をした。おかげで元々悪い腰をさらに悪くした。そのうちまた整体にでも行こう。

 整理をしていてふと気づいたが自分、1冊1冊の本についてそれらをどこで入手したかを結構覚えていた。ここ2〜3年のうちに買った、もしくは貰ったものについては8割がた当てられるのではないだろうか。

 まあ、商品としての本というのは新刊と古書という違いがあるのと、人文書とか詩歌といったジャンルごとに、その方面に“強い”書店があったりするので、手に取った本の状態や内容でだいたいの入手先が想起できるというのはある。それでも、買った日の気候や店内でのやりとりなんかもざっくり思い出せるというのは自分でもかなり驚きである。

 

 一方で、人の顔や名前なんかはすぐ忘れる。この前LINEの友達欄を見ていたら、名前がわからない人が30人ぐらいいて喫驚した。恐らく学生時代に講義のグループワークとか就活イベントなんかで知り合った人たちだと思うが、それこそ怖いぐらいに綺麗に忘れていた。

 いやいや、上みたいな人生のすれ違い程度の人まで覚えていないのは当たり前っちゃ当たり前でしょうと思うかもしれない。だが、最近はもう中学・高校の同級生ですらだんだん怪しい。半年前ぐらいに5年ぶりぐらいに会った同級生がいたのだが、大変失礼ながら下の名前が思い出せなかった(パッと出てこなかった旨を正直に申し伝えたら「自分もそんなもんだ」と言ってくれた。たぶん逆に気を遣ってくれたのだと思う。重ねて申し訳ない話である)。

 

「去年の秋に西荻窪の書店で本を買った」みたいな記憶のことを「エピソード記憶」、学生時代の同期の名前とかは「意味記憶」と、心理学の言葉で呼ぶそうである。ちなみに「自転車の乗り方」のような、いわゆる“体で覚える”系は「手続き記憶」と呼ぶらしい。このうち「手続き記憶」は3つの中でも強いそうだ。

 で、恐らく自分は「エピソード記憶」も強いのだろう。相対的に「意味記憶」が弱いのかもしれない。

 

 歳をとると、比較的最近の記憶から薄れていくと聞く。一方で、子どもの頃に覚えたことや仕事で繰り返した動作などはわりといつでもしっかり思い出せるそうである。

 私の「エピソード濃いめ・意味少なめ」の記憶システムはどうだろう。少なくとも意味記憶のほうは、すでに全然覚えていないのだからそんなに支障はなさそうである(否、すでに支障が出まくっているからもう変わらない、というほうが正しいかもしれない)。

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 ベースをかれこれ10年ぐらい弾いているが、しっかり練習を始めた頃によく弾いていたビートルズASIAN KUNG-FU GENERATIONの曲などは、今でも数曲であれば空で弾ける。方や、ここ数年のライブのために必死こいてコピーした譜面のほうはすぐに忘れる。

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