道案内

 色々と神経を遣い、削られた日のことだった。

 日が暮れてしばらく経った頃、なけなしの気力をフル稼働させて外に出た。何か食おうと思った。

 

 気温は7月上旬にしては低く過ごしやすい。駅前まで歩いてきたはいいが、食いたいものもとくに思いつかない。無理に何か捻り出すこともないだろうと思い、帰ろうとして踵を返すと、人に呼び止められた。

 キャリーケースをもった、私よりひとまわりほど歳上の女性である。

 

「ちょっと訊いてもいいですか」

「はい」

「××駅行きのバスに乗りたいんですけど」

「バスですか」

 

 このGoogle全盛の時代でも、人に道を訊ねられることがあるのかという感じだが、ままある。

 実際、一人でマップを見て右往左往するよりは土地に明るい人間に訊いてしまったほうがはやい、というパターンは少なくないようだ(だが半年ほど前、都内の駅で夜9時ぐらいに屈強なアフリカン・アメリカンの男に「今日中に福岡に行きたい」と訊かれたときは流石に参った。無理だからだ)。

 

 ところで、当のバスが停まるバス停は、駅舎から結構離れたところにある。道も細々と入り組んでいるので、口頭で説明するのは面倒だ。

 

「ちょっとわかりづらいですから一緒に行っちゃいましょうか」

「いいですか」

 

 トコトコと2人で歩き出す。

 

「すみませんね。でも大丈夫ですか? 乗る電車とか」

「いや、もう帰るだけなので大丈夫です」

「あ、なあんだ。よかった」

 

 一応こちらが付き合っているのだから「なあんだ」ってこともなかろう、と後になってちょっと思ったが、そのときは適度な無神経さが救いのようにも感じられた。

 

「いや、この辺は道が難しいですね」

「そうかもしれませんねえ」

「一人だったら絶対にわからなかったなあ」

「まあちょっと不親切なつくりですねえ」

 

 沈黙に気を遣ってか、生来のものかよくわからないがわりに喋る人だった。かたやこちらは(たぶん)歳下でもあるし、どの程度ツッコんで話せばよいのかもよくわからず、結果としてやや素っ気ない対応になっていた。なんとなく悪い気もするので、形だけの質問だがこちらも投げかけてみる。

 

「初めていらしたんですか」

「ま、初めてってこともないんですが、今日ちょっとたまたま法事があったもので」

 

 ……いきなりオーバーランしてしまった。法事て。いちばんリアクションに困るやつではないか。赤の他人が「お悔やみ申し上げます」も何か変だが、「そっすか」もまたあまりにも、である。0.7秒ほど考えた結果、「そうですか、それは……」という中途半端な返事が口からはみ出して終わった。

 とはいえ、本人は「はぁい」などと言ってさほど気にもとめていない様子だった。そもそも礼服はもう着ていなかったし(だから気づかなかったのだ)、その他の様子からみてもいかにもひとり、お先に失礼してきた雰囲気であった。まあ義理で出席したのだろう。私も気にするのをやめた。

 そうこうしているうちにバス停に着いた。

 

「申し訳ないです、ほんと助かりました」

「いえいえどうぞ、お気をつけて」

 

 

 キャリーケースを見送るとふと、「もうあの人に会うことは一生ないんだな」と思い浮かんだ。

 考えるまでもなく至極当たり前のことである。逆に、このぐらいのちょっとしたかかわりで、その後何度も会うことになるほうがおかしい。

 もっと言えばかつての同級生だとか友達の親だとか、その程度の親密さをつくりあげた人間ですら、今後会うことのなさそうな人などいくらでもいる。いくらでもいるし、むしろその辺は「そういうもんだ」と割り切ってやってきている。

 

 しかしその晩は、キャリーケースの彼女と金輪際会うことがないのだ、という事実がやたらに濃い影となって身体に纏わりついていた。

 

 そのあと結局うどんを食って帰った。