髭を剃る

先日、人に会わないのをいいことに伸ばし放題にしていた髭を剃った。約3週間ぶりぐらいにみる髭なしの自分の顔はずいぶん若返って見える。

元が老け顔なので、中学生ぐらいから実年齢+3〜5歳に見られることが多い。高校生のとき、学校指定のカバンを持っていたにもかかわらず「ガスト」で喫煙席に案内されそうになったのはこの僕である。今24歳なので、髭を生やすと最悪30代と思われても無理はない。

 

Twitterを眺めているとときどき面白いものに出会う。

 見ていただければわかると思うが、オンライン会議にて通話アプリ「Zoom」の背景機能を活用してサボっていた部下がうっとうしい上司にバレる、というストーリーである。上司のダルさ加減が絶妙であるとしてバズっている。

さてこの動画についたコメントの中に「上司の髭が童顔コンプレックスの表れみたいでかわいい」だか、そんなのがあった。

童顔なのは役者さん本人の属性なので、「ふーん、、なんか、演じた役柄だけでそこまで言われちゃうんだ、、、」と思わなくもないが、言わんとしていることはわかるっちゃわかる。もちろん童顔の人はみんなそのことを気にしているんだとか、髭は童顔を隠すためだとかいうつもりはないけれど。

ただまあ、そう思われてしまうという事実はありそうだ、ということ。

 

 

それはそうと、ぼくの好きな絵本作家の五味太郎さんは「髭を伸ばす、というのではなく髭を剃りのこす、という方が正しいのではないか」と言っていたと記憶している。

honto.jp

(在庫ないっぽいなこの本)

 

髭を剃りのこす。ものは言いようという感じもするが、確かにそういう側面はあるかもしれない。

 

今の(日本の)社会では、まあ一般的に「髭は剃るもの」でしょう。社会人として、毎朝起きたら髭を綺麗に剃って会社に行く。大事な商談に向かうときなど、特に剃り忘れなどがあってはならない。うん、剃るのがスタンダード。

翻って髭を生やしている、あ、剃りのこしている人というのは「偉い人」だったり「自由人」という印象がある。乱暴な言い方をすればさまざまな社会的制約から解き放たれていることの象徴のような感じ。

「髭は剃るもの」を前提として、誰かが「いや、俺も偉くなったし、ちょっとこの髭も取っておいてみるかな」と思う、その心を表すとき、「剃りのこす」という表現はなかなか秀逸だと思う。

 

それも国や文化によって話が違うんだろうけど。日本でも髭を蓄えたサラリーマンがいないわけじゃないし。もちろん髭のあるなしでその人の能力や得手不得手が決まるわけでもないしね。

「髭の文化論」ぐらいどこぞの先生が書いているだろうからそのうち探してみよう。

 

……でも生えてくるもんはしょうがないですよね。

 

そういえば「Official髭男dism」のメンバーは誰も髭を生やしていない。なぜなんだろう。