猫がいる

こういう状況だけれども、3日4日に1回ぐらいは必要至急の外出があるので家を出る。で、出たときに猫を見かける確率が増えたような気がする。

外を出歩いている人が前よりも少なくなり、近所の猫たちが多少ノビノビと外をウロつけるようになったということかしら。まあもとより人間にビビっているような様子もない彼らではあるけども。

何より件のウイルスは猫も罹るようだから気をつけてほしいなあ。🐱

スカイツリー

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あ、猫。

 

猫を飼いたいなあ、と思うことがときどきあるけと、一方で自分は動物を飼ってはいけないタイプの人間だろうとも思う。

ものっそい飽き性なのです。

 

例えばこのところのおうち時間増加で始めた自炊だが、もう飽きつつある。本格的に自宅待機で生活しだしたのがだいたい2週間前から、自炊もそのくらいから始めたけれども。2週間。

 

いや、あの、料理しようと思い立ったときはやる気満々だったんです。例えば回鍋肉を作るのでも市販のソースに頼るのではなく、豆板醤とかオイスターソースをきちんと用意して、食材もそれなりのものを買ってきて作っていた。し、それで結構うまくいっていた。

 

……この「うまくいっていた」というのがある意味マズかったのかもしれない。今の「マズ」は味の話ではない。

その後も僕はカレー、炒飯、オムライスなどの料理で「結構うまくいっていた」を達成し続けてしまったのだった。んで、「あ、俺、結構やろうと思えばいけんじゃん」と思ってしまったのである。そう、そこで問題を解決してしまったのだった(実際には全部レシピを見ながらだし、手際も悪いし、スラスラ「料理ができる」状態とはちょっと言いがたいのだけど)。

そうなると、もう料理に対する気持ちは揺らぎ始めた。

僕のなかで、「今までやってこなかった料理という未知の領域に対するワクワク感」「もしかしたら失敗するかもしれないというリスク」あたりの要素がまあまあの割合でモチベーションになっていて、それらが解消されてしまった「デイリールーティンとしての料理」に、以前と同じようには気持ちが向かなくなってしまう。それに、自分の作る料理の味というのがなんとなくわかってきてしまったし。

 

-日々新しい発見を求めて料理をしている人や、毎日家族のために料理をしている人たち(親兄弟etc…)のことを知らないわけでも考えないわけでもない。むしろ自分がこんなんだからこそそういう人々へのリスペクトは止まる所を知らないー

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どうする? おまえら……

↑彼らを活用するためにも、自炊は続けるけれども。

 

勉強もそうだった。

ふと思い立って外国語の勉強をしようなどと文法書などを買ってくるのだが、3日で飽きる。最初の方のページを繰ってみて、「あ、意外とわかるじゃん!」と思ってしまったらもうおしまいだ。わかるなら今じゃなくてもいいなと思って放り出してしまう(←これについては言語に詳しい友人に相談した。僕のような人間は、章ごとに小さな練習問題がついている教科書を使うとよいらしい。確かに、こまめに課題解決体験を提供してくれるような構造になっているとモチベが維持できるのでありがたい)

 

そんな風に自分の生活にかかわる仕事の気力も維持できない人間が、他の命あるものの世話など毎日きちんとできるか? いやいやいやいやいや危ない危ないマジで気をつけたほうがいい。これだけは思いつきで飼おー、とか思ってはマズイ。

 

そう、私が猫さんに対して「飼う」などと思うことがおこがましいのかもしれない。できれば「共生」がしたいな。お互い過干渉はせず、適度に近くにいていただきたい。うん、この距離感だな。

 

などとグダグダ無責任なことを考えているうちに週末が終わっていく。